「寒いですか、姫」
「少しね。でも、鷹男がいるから平気」
「私はとても暖かいです……特に、心がね」
〜冬の日の睦言〜
その日は身を切るような寒い日だった。
昨夜、こちらの殿へ渡る時は、雪がちらつきはじめていた。
うっすらと白く冷たい花を咲かせはじめた木々を見ながら、明日は積もるかもしれないなと思う。
凍えるような寒さの廊下を足早に過ぎて恋しい人のいる御殿にたどりつき、そこで、春のように暖かい笑顔をみつけた。
「寒かった?」
私をみるなり駆け寄ってきた瑠璃姫は、私の手を捉えで姫の口元にもっていくと、ふぅと暖かい息をかけ、両手で包んでそっと摩ってくれた。
飾らない笑顔、心の篭ったしぐさに、私の心もほころぶ。
「あなたが暖めてくださるのでしょう?」
「もう! 来るなりそんな事、言わないの!」
背後に控えている女房達を気にしてか、瑠璃姫が赤い顔で抗議する。
女房らにしてみれば、仕えてる主が後宮一の寵妃として、私とこうして懇ろに過ごしている事は誇らしく嬉しい事のはずだが、恥かしがり屋の瑠璃姫は未だに慣れないでいる。
「なかなかあなたに会う事が叶わなかったのが辛かったので、つい本音が出てしまうのです」
「だから、そーいう台詞を女房達の前で言わないでってば……」
恥かしがりながらも会いたかったのは姫も同じことと見えて、繋がったままの手をそっと引けば、瑠璃姫は簡単に私の胸の中に納まった。
だから、姫だけに聞こえるように耳元で囁く。
「逢えて嬉しいですよ」
瑠璃姫は、握った手を強く握り返して私に応えた。
気を良くした私は、視線ひとつで女房らに退出を命じる。
心得た者たちは音も鳴くその場を辞去していった。
私は暫し言葉もなく、腕の中に閉じ込めた姫のぬくもりと重みを感じていた。
−−存外、姫に飢えていたのかと思う。
こうして2人きりでゆっくり会う機会を持つのは、実に半月ぶり近かった。
正月は宮中でも最も忙しい季節のひとつ。
この時期、伝統ある宮中行事がひしめき、私は身動きが取れない。
新年の四方拝から始まり、朝賀、朝拝、節会などなど、厳かに儀式をこなしていくだけでせいいっぱいで、恋しい方とゆっくり夜を語らう暇もなかった。
もちろん、後宮行事の折に顔をあわす機会は何度もあったけれど、帝と女御という地位にある者として、それに相応しく装い会話をかわしただけ。
気のおける姿でまみえるのは本当に久しぶりだった。
「もう誰もいませんよ、姫」
そう語りかけると、わたしの直衣の中に顔を埋めていた瑠璃姫がやっと顔を見せた。
「答えてください。今夜は、あなたが私を暖めてくださるんでしょう?」
「え…っと……」
顔を赤く染めた瑠璃姫の目線が空をおよぐ。
戸惑う表情が実に可愛らしい。
これが見たくてわざとやっているという事に、聡いはずのこの人は一向に気付かない。
好きな子苛めのガキ大将と同じなのだと、藤宮にはいつもからかわれるのだが、見たいものは見たいのだ。
「暖めてくださるのでしょう? あなたが」
根負けした瑠璃姫は恥ずかしそうに、だが確かに肯いた。
私は満足そうに微笑み、姫を抱き上げて寝所へ連れ去ったのだった。
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
明け方近く、目を覚ました。
傍らには暖かいぬくもりがあり、目を向けると最愛の姫が眠っていた。
夜通し愛し合おうと言ったのに、脱落したのは私が先だったのか、瑠璃姫が先だったのか。
いつの間にか、2人して眠ってしまったらしい。
その幸せそうな寝顔に、私は満足する。
色々な事があった。
こうして、共寝を許されるようになるまでに、本当に、色々な事があった。
信じられないほどの遠回りをして、長い長い忍耐の日々が必要だった。
何度こんな朝を迎える夢をみたことか。
目を覚まして冷たい褥を見やり、失望と孤独に打ち震える朝を何度迎えたことか。
長く会えない日が続くと、この幸福な日々が夢なのではないかと、私は未だに疑いが捨てきれないのだ。
姫はどこかへ消えてしまわないだろうか。
そっと、乱れた着物から白い素肌をさらす姫にふれた。
暖かい……。
これは現実なのだと、やっと安心する。
眠る姫の首の下に腕を入れ、姫を胸の内に抱え込んで、小さく息をついた。
今宵はこうして寝よう。
姫が、どこへも行ってしまわないように。
悪い夢を見ないように。
「鷹男、どうしたの?」
眠たげに瞼をあけた姫が、警戒心も何もない優しい表情を私にたむけた。
「起こしてしまいましたか。すみません」
「いいんだけど……、なんか、鷹男がちょっと寂しそうだから。どうかした?」
「あなたが消えてしまうのではないかと思って、こうして抱きしめなおして寝ようと思っただけなんですよ」
「もう、鷹男って、時々、信じられないぐらい甘えん坊よね」
瑠璃姫はそんな私の想いを知らない。
でも、知らなくていいのだ。
今、ここに、この人がいる。
それだけが全てなのだから、この人を苦しませるような事を何も言うつもりはない。
「お嫌いですか?」
「そんな事ないよ。甘えん坊も駄々っ子も大好き。だけど」
「「頼むから、2人きりの時にだけにしてね」」
私は瑠璃姫の言葉を奪って、にやりと笑った。
「でしょう?」
瑠璃姫は悔しそうに口をわななかせ、身を起こした。
「やっぱりわざとだったのね! あんまり意地悪ばかりすると、あたしも意地悪するからね!」
「おや、気付いていたのですか」
「鷹男が食えない根性悪だってことぐらいはね!」
怒っていても瑠璃姫はやはり愛らしい。
憂い顔を見るぐらいなら、私はいくらでも道化になろう。
「根性悪に魅入られてしまったのが運のつきと諦めてください」
「……開き直ったわね!」
髪箱を掴んで、姫は臨戦態勢に入っている。
これは少し怒らせすぎたか。
ここは素直に謝ってしまおう。
優しい瑠璃姫はいつだって私を許してくれるのだから。
「いたずらが過ぎました。でも、瑠璃姫の豊かなお顔を見ているのが、私の一番の楽しみなんです」
戦闘意欲をそがれた瑠璃姫は髪箱をおろして、少し頬を赤くした。
「馬鹿な鷹男。悪趣味なのよ、あんたは」
「でも、どんな権力や財力でも手に入れられないものなのですよ。あなたは、私が手に入れたたった一つの宝です」
顔をますます赤くした瑠璃姫は困ったように口ごもる。
こうなったら私の勝ちなのだ。
私は、私がこの人に勝てるたった一つの方法で挑む。
「今宵は私を暖めてくださると約束したでしょう? こちらへ戻ってきてください」
まだ温もりの残る褥をぽんぽんと叩き、そこへ来るように促した。
「……勝手に1人寝をすればいいじゃないの〜」
愛しの意地っ張りは、簡単に諾とは言わない。
けれど私も無理矢理連れ戻すような事はしない。
私は、この人が自ら戻ってくる姿を見たいから。
「私は寒いです……、姫。」
「〜〜〜〜〜!!!」
「寒いです」
もう一度口にすると、律儀な姫は、悔しそうに私の腕の中に戻ってきた。
しっかりと抱き込んで、もう二度と逃げ出さないように拘束する。
「愛してますよ、姫」
おそらく腕の中で顔を赤くしているだろう姫に囁く。
応えはない。
応えないかわりに瑠璃姫はその頭をわたしにあずける。
「寒いですか、姫」
「少しね。でも、鷹男がいるから平気」
「私はとても暖かいです……特に、心がね」
私は満足そうに目を閉じた。
そして、私は今宵も幸福な夢を見る。
それは、寒い冬の日の睦言。
完
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