天使の誘惑、悪魔の苦悩



私には一風変わった、だけど最愛の女御がいる。
とりたてて美人というわけでもなく、見事な櫛も、優雅が所作も持ってはいないが、愛らしく、機知に富んでいて、何をするかわからない、目の離せない存在。
気がつくと私の心の中に入り込んで、もう手放すことが出来なくなっていた。
そんな瑠璃姫に心を込めて想いを伝え、姫が藤壺女御として入内してから、私たちは夢のように甘いひと時を過ごしている。

その日は、早めに政務を終えて藤壺に参ると、早々に女房達を下がらせ、2人きりで今日あったことを語り合っていた。
脇息にもたれ、女房達に用意させた御酒をちびりちびりと煽りながら、姫の話を聞くのが常の過ごし方。
そのうちどちらからともなくいい雰囲気になって、私は姫を寝台へ連れ去る。

普段はあけすけにものを言うくせに、瑠璃姫はこういう時ばかりは実に奥ゆかしい。
恥らう瑠璃姫をからかい、押し倒して最後にはいう事をきかせるのは大変楽しい作業なのだ。
今宵はいかにして姫を可愛がって差し上げようか。
いつになっても愛しさのつきない我が女御を前に、穏やかな微笑を浮かべながら、邪まな欲求についてあれこれと考えていた。


「鷹男、どうした? 聞いているの?」

小首をかしげて、瑠璃姫が私をみていた。

まさか閨での事を考えていたとは言い出せない。
いい雰囲気になる前にそんな事を言い出そうものなら、顔を真っ赤にして怒り、指一本触れさせてくださらないのだ。
私は、話をそらして、姫に続きを促した。

「すみません、ちょっと考え事をしていて。それで? その猫はどうなったのですか?」
「うん、飼い主がやっと見つかってね……」

続きを語り始めた瑠璃姫が、ふいに口を閉じ、じっと私を見つめた。

「姫??」

「鷹男、それ、おいしい?」

それ? 姫は私が手にした杯を指している。

「特においしいということもないですが、日も落ちた時刻に、いい大人が水でもないでしょう?」

「あたし、お酒って飲んだこと殆どないんだよね。
昔、飲ませてもらった時に、調子に乗って倒れちゃってさ、あとで頭痛くなるし大変だったの。
以来、小萩も皆もそんなもん飲んじゃ駄目だってうるさくってさーー。」
「まあ、女性の酔っ払いというのはあまり見栄えのいいものでもありませんしね」

男ばっかりいいなあ、つまんないーと、頬を膨らます瑠璃姫。

「では、少しだけ召し上がってみますか?」

ガタンと、障子の向こうで大きな音がした。

実は、障子の向こうでは、部屋を辞した女房達がずらりと並んで様子を伺っている。
疑う事を知らない瑠璃姫は、そこに控えているのは腹心の女房の小萩だけだと思っているようだが、すまし顔の女房達は、たわいもない会話も、閨での出来事もすべて盗み聞きしているのだ。
私の愛する主人に忠誠を誓う者たちと思えばこそ、褒美とばかりに見ぬふりをして、すべてを聞かせてやっている。
が、普段は物音ひとつたてない者達が何をやっているのだと、心の中で女房らを叱責した。

「えー、いいのーー?」

私の差し出した杯を嬉しそうに受け取る瑠璃姫は、まったく気付いた様子はない。
安心しきった様子で私にもたれたまま、口をつけた。

「これ、水みたいだ。おいしいーーー」

瑠璃姫は頬を上気させ微笑んだ。

「水のようなお酒でしょう?辛みもないし、御酒が苦手な方でも召し上がれるものらしいです」

「うん、いくらでも飲めそうな気がする」

そういって、瑠璃姫は次の杯を要求した。

「あなたと御酒を酌み交わせるとは思ってもみませんでしたよ。でも、飲みすぎないでくださいね」

水のような酒は、一見して無害にみえるが、所詮、酒は酒。
気がつけば杯を進めすぎて倒れた、などという事にもなりかねない。
大切な瑠璃姫がそのような事にならないように、私は少しだけ酒を注いだ。

「ケチ! もうちょっと頂戴!」

突然、徳利を奪った瑠璃姫が、手酌で酒を飲み始めた。

「ひ、姫?!」

くいぃぃーーーと、御酒を喉に収めていく姿は、実に堂にいっていた。
しかし、昔、飲んで倒れたと言っていなかったか?!

呆然と姫を見つめていた私の前で、姫は残っていた1合ばかりの酒を飲み干し、徳利を逆さにして落ちてきた雫をべろりと舐めて「おかわり!」とのたまった。
姫は、ひっく、ひっくと肩で酔っ払い特有の息をしながら、潤んだ瞳で私を見上げている。

「い、いけません! 飲みすぎは駄目だといったでしょう!」

我に返った私は、慌てて姫から杯を取り上げた。
信じられない。
これだけで完全に泥酔できる人間がこの世に存在するとは。
これでは、女房達が姫に酒を飲ませぬわけだ。

「だ、誰か! 小萩はおらぬか!」

次の徳利をつかもうとする瑠璃姫を阻止するために羽交い絞めにしながら、女房の名を呼ぶと、次の間でばたばたと音がして、すっと障子がひらいた時には、そこにいるはずの女房達が、小萩を除いて綺麗にいなくなっていた。
あまりに手際の良さに、突っ込みを入れたいところだったが、正直、それどころではなかった。

「瑠璃さま! ひっ!」

ばたばたと暴れる瑠璃姫を抑える私の姿はさぞかし見物であったろう。
青くなった小萩は、姫の視線の先にある膳をつかみ、女房達を呼び戻した。

「膳を下げて! 水桶と手拭の用意を」
「は、はいっ!」

小萩は女房達にあれこれ指図して、ついでに、この騒ぎが外に漏れないようにと格子戸を硬く降ろしはじめた。
私は、腰をおろして胸の中に瑠璃姫を抱きこみ、体を拘束し続けていた。

「やだ、もっと飲みたいーーー」

無邪気な酔っ払いは可愛く抗議をしながらも、力が入らないのか、やがて大人しく私の胸にもたれかかった。
−−ひっく、ひっく、ひっく。
そのうち、姫がさめざめと泣き出した。
ひとしきり暴れた後は泣き上戸らしい。

「馬鹿、馬鹿、馬鹿ーーー、鷹男の馬鹿ーーーーーっ!!!」
「はいはい、すいませんでした、私が悪かったです」

酔っ払いに何を言っても仕方あるまい。
私を罵る姫を適当にあしらう。

「やっぱりそうだったのね! 浮気者ーーーーっ!!!」
「なにをおっしゃっているんですか、あなたは」

聞き捨てならない言葉に思わず反論してしまう。

「鷹男ってばこの前、女官にてー出してたでしょ!?」
「はあ?!」
「どーして、宣旨の女官から鷹男の香の匂いがするのよーーーっ!!!」
「え? なんですか、それは?!」
「しらばっくれても無駄よ! 今、悪かったって謝ったじゃない! それなのに、とぼける気なのねーーー!」

号泣しながら、ぽかぽかと私の手を足を叩くわ蹴るわ、大変な暴れようだった。

「私には覚えがないんですが、いつの事をおっしゃっているのです?」
「昨日よ、昨日!」

昨日??
そういえば、自分の裾につまづいて転びそうになった命婦を助けて抱きとめた事件があった。
袴さばきもできぬとは宮中女官としては大変な失態。
それも仕えるべき主に助けられたとあっては面目は丸つぶれである。
とっさに、
「おや、つい足がすべってあなたに抱きついてしまったよ。すまなかったね。けれど、こんなに美しい華に触れられるとは私も役得だ」とか何とか言って誤魔化したような。

「る、瑠璃姫誤解です!あれは…………」
「言い訳は聞きたくないわ!! 他の女官がちゃんと見てたんだから! 鷹男があの女官と抱き合ってるのー! そんなの嘘だと思って相手にしてなかったけど、悪かったってどーゆーことよー!! 鷹男の嘘つき!!浮気しないって約束したじゃない!もう家出してやるー!離婚よ離婚!!」

わあわあ私の胸で泣き濡れる瑠璃姫に私は呆然とした。
おちつけ、相手は酔っ払いだ。
今、誤解をといても何の意味もないのだ。

固まりつつ、ちらちらとこちらをみている女房達に視線を移した。

「小萩、姫はこのあとどうなるのだ?」
「そ、そ、それがその……。」

がばりと平伏した小萩が言いにくそうに淀んだ。

「よい。もとはといえば酒を飲ませた私の責任だ。言ってみよ」

たらりと汗をたらしながら小萩が白状した。

「ひとしきり暴れたあとには、泣き出しまして、い、今のようにあれこれ難癖をつけまして……。そのうち、その……お召し物を脱ぎ始めまして……、そ、そして、誰彼かまわず抱きつくクセが……」

その言葉に、私の理性のすべてが吹き飛んだような気がした。
したり顔で肯くと、私は心配そうに様子を見守っていた女房達に辞去を命じた。

「わかった。今宵は私が介抱する。私なら抱きつかれても、着物を脱がれても困る事はない」
「で、ですが……、恐れながら、今上、今宵はどうぞ姫様の体をいとわれて……」

さすが小萩は私の考えを見抜いて、遠慮がちに釘をさしてきた。

「馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿ぁぁぁぁぁーーー」

胸の中で私を罵倒する瑠璃姫の櫛をやさしく撫でながら、私は、意地の悪い微笑みをうかべた。

「心配なら、いつものように、そこで、皆で監視していればよかろう?」

「ひっ」「あれぇぇ」

女房達の顔がこわばり、やがて真っ赤になって、年若い者たちが顔をおさえて何人もバタバタと部屋を出て行った。

「ご、ご存知でいらっしゃいましたか……」

顔を伏せて真っ赤になっている気の毒な小萩にとどめの一声をかける。

「私は一向にかまわない。だが、私が姫に無体な真似をしたことがあるかどうかは、そなたらが一番よく存じておろう? 」
「は、はあ……」

顔を袖で隠して「お許しを」と口にする女房達から、おとなしくなってきた愛しの酔っ払いに目を移すと、今度はとろんとした目で私を見ていた。
いよいよ次の段階に入ってきたのだろうか?

「たかお〜?」
「はい、何ですか?」
「熱い、体が熱いのぉ〜」

上気した頬に紅い唇、泣いて潤んだひとみでそのような事を言われて理性をとっておける男がいるとでもいうのか。

「熱いのですか? なら、袿をぬがして差し上げましょうね?」

腰紐に手をかけると、まだ女房らがいるというのに、まったく気にしていない瑠璃姫が
こくりと肯いて、壮絶に艶っぽい声でこう言った。

「うん……、脱がして……」 

これは楽しむしかないだろう。
わざと1枚ずつ着物を脱がせていくと、そのたびに、蝶が殻を破って出てくるように、ひらりひらりと瑠璃姫が舞いを演じた。
あでやかな微笑で私を見つめながら、なすがままに次々と脱がされていく。

ばたんと、障子を閉める音がした。
「今宵はおさがりなさい、お二人だけにして差し上げましょう」と、小萩が諭して、女房達をひきつれていく声がした。
邪魔者はいなくなった。

「さあ、姫、全部脱いでしまいましょうね。手拭で拭いて差し上げましょう。冷たくていい気持ちになれますよ?」

「うん、鷹男、大好き。だいすきー」

酔いが回って動きが鈍くなってるので、簡単に腕をとられ、褥に横たえられた瑠璃姫が、天使の微笑みで私に抱きついてきた。
顔中に口付けをされる。
最初からこれほど積極的な姫を今まで見たことがない。

−い、生きてて良かったーー。

私はしみじみと幸せをかみしめて、深い口付けをかえした。
うっとりと私を見上げた瑠璃姫の妖艶な微笑みに身震いがした。

「さあ、拭いてさしあげましょうね? こうして足を開いてくださいね? ああ閉じてはなりませんよ。そう、こうして足首を持っていてくださいね? いい子ですね?」

姫は私の思うままだ。
普段ならけしてさせられない格好をして、期待に潤んだ目をして私を見ている。
ドサクサにまぎれて、あんなことや、こんな事もしてしまおう。

私は手桶を引き寄せ、手拭をひたし、ぎゅっと絞った。
まずはどこから責めてさしあげようか。
わくわくしながら、私は、あれれもない格好をしている瑠璃姫を振り返った。


−−ポチャン。

手拭を水桶の中に落とした。
そこには、幸せそうにスウスウと寝息をたてている瑠璃姫がいた。

「がーん、姫・・・せっかくこれからなのに・・・」

眠る瑠璃を必死に揺り起こしたが、姫はうんともすんとも言わずに、平和な寝息をたてるばかり。
瑠璃姫の横に、膝と抱えて座り込んだ私は、夢が徒労に終わったショックに、なすすべもなく夜を明かしたのであった。


その一件以来、藤壺では、一切酒が出てこなくなった。
記憶のない瑠璃姫は「お酒ばかり飲むのもよくないしねー」と、何も疑っていない。
女房達の覗きをネタに脅して、リベンジを試みるか、私はいつも葛藤している。



元ネタ:露香姫、前半アイデア:華月姫、後半アイデア:ミミタロウ姫、文責:HAL