あなたを想う四季 2

【夏】

奇妙な再会を果たしてから、何度となく、守弥を三条に呼び出すようになった。

最初はともに吉野を偲びたいう理由だった。
切れ切れにしか聞き出せない吉野での事を、聞き出そうと思った。
その度に、守弥はあたしの前で青くなったり赤くなったりするので、わざと近付いて、反応を楽しんでみたり、声を聞かせて?って、甘い声で尋ねて、慌てて走り去る姿をながめてみたり。
きっと、人妻の余裕を装った軽い遊びのつもりで、意気がっていたんだと思う。

「吉野にいた時のことが聞きたいの」
「右大臣家の様子を知りたいのよ」
「高彬には内緒で教えてくれる?」

からかうのが面白くて、あれこれ理由を作っては、呼び出した。
やくたいもない用事に、抗議しながらも、ちょっと脅せば守弥はすぐにやってくる。

「守弥っていくつなの?」
「へえ、頭いいんだ?」
「なんだ、力仕事は相変わらず、からきし駄目なのね」

少しずつ、守弥自身のことを聞きだす。
初めの頃は少なからず用事があったというのに、そのうち、会いたいから遊びに来て!で話が通るようになった。
守弥を呼び出すこと、会って話をすることが、あたしの密やかな楽しみになっていった。


守弥はいつもあたしと目をあわせない。
俯くか、横を向くか、とにかくあたしの方を見ようとしないから、あたしは、いつも綺麗な横顔を充分に堪能していた。
じっと眺めながら、守弥をからかっていた。

いい歳をして真っ赤になる守弥は面白い。
目を逸らして、あたしを一生懸命見ないようにしながら、言葉をつむぎだす。
そんな守弥に、あたしは、どんどん惹かれていった。

「もうご勘弁ください、若君にこんなところにいるのが知れたら……」

あたしと守弥が知り合いだなんて高彬には知られたくないんだと、来るたびに守弥は言う。
あたしにしても、高彬は、案外、嫉妬深いから、会っていることを知られたくはなかった。
でも、あんまりそればかり言われると面白くない。

「守弥は……高彬が大好きなのね」
「はっ?! え、、、、それは……勿論、私がお育てした若君ですから……」

実際問題、あたし達の間に、はやましい出来事は何もなかった。
守弥はいつも御簾の外にいたし。
あたしが御簾をあげてしまうと、俯いていて目を逸らして見まいとしていた。
そわそわと、居心地が悪そうに早く帰りたがる。
こちらに来てと促しても、そばに来ない。
近づくと、飛び退って逃げる。

「若君が心配しますから」
「若君に何と思われるか」
「若君もそう思っています」

いつもいつも高彬の話ばかり。
その事に段々、いらつくようになった。


「守弥には水無瀬の煌姫っていう身分違いの恋人がいるらしくてね」

あたしが、はっきりと守弥への恋心を自覚したのは、この時だった。
あたしは随分と衝撃を受けた。
そのあとの高彬の言葉は、すべてあたしの上を虚しく通り抜けていった。

「聞いてるの? 瑠璃さん、それでね?」

あの守弥に恋人がいるという。
ただの家令と、落ちぶれたといえども宮家の姫。
生活の面倒を見ているという秘密の恋人。
そんな人がいるということが、すごくショックだった。
高彬が帰ったあと、あたしは、すぐに守弥を呼び出てし、問い詰めた。

「誤解です! あの姫とはそんな関係ではないのです」

一生懸命、言い訳をする守弥の顔が赤かった。
照れ隠しなんだと思う。
歯切れ悪く「誤解です、違うんです」と言い続ける姿は、どう見ても身分違いの恋を隠そうとする態度だった。

右大臣家の女房であればそこまで衝撃を受ける事はなかったのだと思う。
さもありなん、守弥にだって、恋人の一人や二人いてもおかしくないと。
あたしは笑っておめでとうと言えたのかもしれない。
だけど、その人は駄目だった。
堅物の守弥が、身分違いの恋人を手にする覚悟のある男なのだと知ってしまったら、
もう、溢れ出る想いを堰き止める事が出来なくなっていた。

その人はよくて、あたしは駄目なのかな?
出合ったときはもう人妻だったというのに、そんな事はうっちゃって、あたしは、そんな嫉妬心が渦巻いていて、どうしようもなかった。

「本当だったんだ……」

夫のいる身で、その家令に恋心を抱いていた。
叶うべくもない、片思いで、気付いたときにはもう、終わっていた恋だった。
いつのまにか、あたしの目からは涙がいく筋も流れ出ていた。

「る、瑠璃姫?」

守弥が不審な顔をしている。
いけない。
あたしはたった今、自覚したばかりの恋心を必死に隠そうと思った。
あたしよりも更に鈍感なこの男は、これだけあたしが呼び出しても、あたしが守弥をどう思っているかなんて気付きもしなかった。
気付かないから、こうしてあたしの元へと来てくれていた。
気付いたら、さすがに、もう来てくれなくなる。

「なんでも……ない」

泣きながら、強がりを言った。
守弥がおろおろと、あたしに手を伸ばし、また引っ込めて、百面相をしていた。
どうせなら、早く抱きしめてくれればいいのに。
泣いているあたしを、抱きしめて慰めてくれればいいのに。
なんでこんな堅物男を好きになっちゃったんだろう。

「本当に誤解なのです! そんなことではなく、あの姫には弱みを握られていて!!」

何を馬鹿な言い訳をしているんだろう。
右大臣家の家令が、宮家の深窓の姫にいったいどんな弱みがあるというのか。
それこそが二人が特別親しいという証じゃない。

「いいのよ……、あたしもっ、うっ、協力するからっ。守弥の恋に、ひっく……、協力するから」

両手で顔を覆い溢れ出てくる涙を抑えようとする。

「あなたにまで誤解をしていただきたくはありません!」

急に守弥が声を荒立てた。
びっくりして顔をあげると、守弥は真剣な顔をしてあたしを見ていた。
大きな溜め息をひとつつき、こうなったら何もかもお話しましょうと、意外な話をはじめる。
高彬をあたしから引き離すために、煌姫と二人で策を練ったこと。
その策はあえなく失敗してしまったけれど、それ以来、水無瀬の姫に脅されてあれこれ生活の面倒を見させられていること。

「あなたが、思っているような事は、何一つないのです。本当に、天地神明に誓って、私はあの姫に懸想しているなど、絶対にありませんっ!」

あんまりにも荒唐無稽な話に、あたしの涙がすっかり止まってしまった。

「信じて……いただけますか?」

普段あまり目を合わせようとしない守弥が、真剣な顔であたしを覗き込んだ。
いつも赤くなったりおろおろしてばかりいるおかしな守弥の顔じゃなくて、優秀な家令だというのも肯ける真剣な眼差しで、あたしを見た。
あたしは、その目の鋭さに驚いて、こくこくと何度も頷いた。

「良かった……。あなたにまで誤解されては、私は……」

守弥は、その言葉を途中で、言いよどんだ。
戸惑うように目が泳ぎ、顔を赤くする。
あたしの胸が、ひどく高鳴った。
わずかな期待に胸が膨らんでいった。

この恋を、諦めなくてもいいのかもしれないと、心の片隅で思った。
あたし達は、人妻と夫の部下という関係で、大貴族の総領姫と無位の家令という関係で、万に一つも結ばれる事は難しかったけれど、思うぐらいは許されるのかもしれないと、そんな甘い想いを胸に抱き始めていた。

想いを自覚してから、守弥を呼び出す回数を少し減らした。
あまり会ってはいけないと思った。
だけど、会うこと自体はやめられなくて、何か理由を作っては、彼を呼び出した。
知られてはまずいから、御簾の内に入れるようになった。
それが、人知れず通う者があると、密やかな噂を呼ぶようになっていった。

守弥があたしをどう思っていたかは知らない。
彼は相変わらず、あたしを見ようとはしなかったし、いつも俯いて言葉少なに、若君が若君がとぐずぐず言っていた。
だけど、彼は呼び出せば必ずやって来た。
あたし達は、微妙な均衡の中で、逢瀬を続けていた。


ある日、あたしは守弥に尋ねた。

「源氏物語で、桐壺帝が、愛していた亡き桐壺更衣によく似た藤壺女御を内裏に召すという話があるんだけど、守弥はどう思う?」

若い頃は大人の汚い恋愛を見せられているようで、嫌だった逸話が今のあたしにはよくわかる。
たとえ、ある人の声が初恋の人にそっくりで、それが彼が気になって仕方なくなったきっかけであっても、彼自身を好きになったのであれば、いいのじゃないかと思った。
それだって一つの恋にはかわりない。
恋になぜも、どうしても、ないのだと、今のあたしにはよくわかっていた。
だから、「そういうのもいいのではないですか?」と、彼に言ってもらいたかったのかもしれない。
でも、あとから冷静に考えてみれば、いくらなんでもこれが誰の事を指しているか、彼にもわかってしまっただろう軽率な問いだった。

堅物守弥は「女子供がよむ本は読んだことがありません」とそっけなく答えた。
守弥らしい答えが返ってきて、拍子抜けした。
でも、気付かないでくれて良かったのかもしれない、と思った。

それから、彼はふつりと会いに来なくなった。