あなたを想う四季 3 【秋】 しばらく会えない日が続いた。 用事が立て込んでいるので、忙しさが途切れた頃にご機嫌伺いに参りますと文をもらってから、一月以上、彼に会っていなかった。 あの時の軽率な問いが原因だろうかと、あたしは思い悩むようになる。 もともと、伝えてどうにかなりたかったわけじゃない。 時々でいいから、会って話が出来ればよかった。 ほんの少し、あたしの思いを伝えてみたくなっただけだった。 そして、守弥があたしをどう思っているのかを、少しだけ知りたかった。 守弥があたしから離れていってしまうぐらいなら、何も言わなければ良かったと後悔した。 会えない時間に、思慕の情がますます募った。 寝ても醒めてもあの人の事が気にかかった。 誰にも言わず、そっと心の引き出しに入れておけるような恋心と自分では思っていたのに、 そうではないのだと思い知らされた。 あの人に会える日を、一日千秋の想いで待ち焦がれていた。 秋も深まったある日、ふいに守弥が、屋敷を訪ねてきた。 あたしから呼び出す事はあっても、自ら忍んで来た事など一度もない人の訪れにあたしはびっくりした。 「やっと時間があいたので、思い切ってこちらをお尋ねしてみました」 右大臣家では末の姫を入内させるとか、しないとかで色々と揉め事があったようで、その処理が大変だったのだという。高彬からもそんな話は何となく聞いていたので、それが来ない原因だったのかと、少しほっとした。 あたし達は、以前のように、他愛もない話をした。 どれだけ時間がたっただろう、いつも辞去する頃になり、ではこれでと、守弥が挨拶をして立ち上がった時に、ふと、あたしを振り返った。 「瑠璃姫からお尋ねがあったので、妹に借りて源氏を読んでみたのです」 唐突に、そんな話を始める。 「人を愛するきっかけは何でもいいのではないでしょうか。ああいう始まりは、きっといつの世でもあることなのでしょう」 守弥はどこか暗い目をして、言葉を紡いだ。 嬉しいはずの答えなのに、嫌な予感がした。 「私はむしろ、いくら好きであっても父の妻を寝取る源氏という男はどうなのかと思いました。女性はこんな夢物語がお好きなのかもしれませんが、私には、彼 が不誠実な男にしか思えません。愛する女性に、死ぬまで抱えねばならない罪を背負わせる事が、愛するという事なのでしょうか?」 「守弥、それは……」 「人間には、けして選んではいけない道というものがある。越えてはいけない壁というものがある。それを耐えるのも、人の誠意というものではないのでしょうか?」 守弥は、完全なる堅物男だった。 同時に、冷や水をかぶせられたような気分になった。 あたしと彼の関係になぞらえて、何かを言われたような気がした。 でも。 だったらなぜ、守弥はここに来るんだろう。 くだらない用事とわかっていて、ここに来て、話をしてくれるんだろう。 それともこの鈍感男は、自分が陥っている状況を全く理解していないのか。 あたしは混乱してしまった。 いつも俯いて黙ってしまうのは守弥のほうなのに、この時ばかりはあたしのほうが押し黙ってしまった。 「では」、と、御簾の向こうへきえてゆこうとする守弥に気付いた。 「まっ、ちょっと、守弥!」 行かせたらいけないと思った。 とっさに駆けよって、背中から抱きついた。 「まだ行かないで! 守弥が何を言いたいのか、よく、わからないよ!!」 あの吉野の里以来、はじめて、触れた。 ドキドキした。 背の高い守弥の背中にぎゅっと抱きついて頭を押し付けた。 守弥は足を止めてくれたけど、後ろを振り返りもしなかった。 「声が似てるぐらい、どうという事はないでしょう。問題は、、、そういう事ではない。」 低い、あたしの好きな声で、そう言った。 あたしは、この思いが知れてしまったのだとはっきり知った。 「……あたしの事が、好き?」 考えるより前に、その言葉が口をついて出ていた。 その瞬間、守弥の体が雷にでも打たれたように、固くなったのがわかった。 「あなたは若君の北の方です。好きとか嫌いとか、答える権利など、私にはありません」 守弥の心臓の音が早鳴る。 憎らしいほど冷静な声とは違う、動揺する心が、ここにある。 「あたしは、守弥が、好きだよ」 守弥の手が、背中から胸板にまわしていたあたしの手と重なった。 ぎゅっと握られたと思ったら、無理矢理、引き剥がされた。 あたしはバランスを失って、床に座り込む。 「あなたのような大貴族の姫君が、そのような戯言をおっしゃったところで、誰が信じるというのです? あなたは、既に人の妻です。大切な、私の若君の妻で す。馬鹿な事をおっしゃらないでください。あなたのすべき事は、私の若君にきちんとお仕えする事でしょう?」 一生懸命まくしたてる顔を、見上げていた。 守弥は、何度も、あたしの想いを「馬鹿なこと」だと、罵った。 もともと叶うとも思っていなかった想いなので、やっぱりなと、失望感が広がっていく。 あたしの思いはカラカラと空回りしているだけ。 そんな事はとっくにわかっていたけれど。 だけど、今更、引っ込みがつくわけがなかった。 「好きになってしまったものは仕方ないじゃない。止められる想いだったら、もう、とっくにやめてたよ。自分でもどうしようもないんだから、仕方ないじゃない!」 守弥は、真っ赤に赤面して、片手を額にあてて、何を言っているんだ、そんなことが出来るわけがないじゃないかと、小さく呟いた。 「教えて? あたしを、好き?」 「あ…あなたは、若君の妻に相応しい方だと……思っています」 切れ切れに答えたそれは、あたしの欲しい答えではない。 「真剣に答えて?」 立ち上がって、守弥ににじりよった。 「若君の奥方として好ましい方だと、今は思っています」 それは本心からの言葉なの? 高彬の妻、あたしの価値はあなたにとってそれだけなの? あたしは焦れていた。 「そんなに、高彬が大切?」 「もちろんです。私が10歳の時から、大切にお育てした若君なのです。お優しくて、武芸にも秀でていて、そりゃあ、私ににて少々堅物なところもあります が、軽薄ではなく誠実な方です。かといって大胆なところもあり、帝の覚えもめでたく。とにかく、あんなに素晴らしい若君は都を探しても他にいらっしゃいま せん!」 その褒めようといったら、なかった。 高彬の母上もかくやというかんじだ。 勿論、あたしもそんな高彬のいい所は沢山知っている。 だけど。 あたしは、守弥を見つけてしまった。 高彬は、守弥の偽物だ。 高彬の頑固で堅物なところは、守弥の影響。 色事にはからきし駄目なのも守弥に似てる。 この二人はとてもよく似た面を持っている。 あたしは自分がぶっとんでいる性格のせいか、真面目な人に弱い。 真面目な人に正論で攻めてこられると頭が上がらないのだ。 守弥は、もろにあたしの好みだったんだと思う。 この真面目で堅物で優秀な人が気になった。 でもそれだけじゃない。 このドジで間抜けでかわいい男が、その真面目さゆえに右往左往する姿が面白くて目が離せなくなった。 この人を何時までもみていたいと思ってしまった。 気がついた時は、もう遅くて、恋に落ちていた。 抜け出せなくなってしまっていたのだ。 守弥から。 「あたしは、そんな高彬を作った守弥が好き。高彬よりも……」 「言ってはなりません!!」 言葉を強く遮られた。 「あなたは、若君に相応しい方だと思っています。家柄もよく財力もあり、若君を支えてくださる。そして何より、あなたは若君を幸せにしてくださる方です」 真剣に、訴えられた。 「人には越えてはいけない壁があると申し上げた筈です。これは、そういった種類の事柄です」 「じゃあ、きちんとスジを通せばいいの? あたしが高彬と別れてきちんと独り身になったら、壁なんかもうないでしょう!!」 売り言葉に買い言葉だったと思う。 あたしはその時まで思ってもみなかった事を口にした。 その瞬間、守弥の目が鋭く、見た事もないぐらい冷たく怜悧に光ったような気が、した。 「私を、失望させないでください。……私の若君を裏切ったら、一生……許さない!」 そう宣言すると、あたしの手を振り切って、そのまま部屋を出て行った。 その恐ろしさに、ぺたりと座り込んだ。 守弥の最後の言葉がぐるぐると渦巻いていた。 高彬を裏切ったら、一生、許さない。 もう、心はとっくに裏切ってしまっているのに? あたしは、乾いた笑いを浮かべながら、その言葉を噛み締めるしかなかった。 声をあげる事すらできずに、心の中で泣いた。 最初から、実る望みもない恋だった。 間違った恋だという事もわかっていた。 守弥のことを思うなら、この想いを諦めるしかなかった。 あたしは、高彬の妻だから。 あの人の大切な高彬の妻だから。 それ以外で、あの人があたしを認めてくれる事はない。 ううん、もう、あの人は、こんな二つ心を抱いた女を許さないのかもしれない。 わかっていたのに、言わずにはいられなかった自分が恨めしい。 恋とは……なんて愚かなのだろう。 愚かで、何もかも見えなくなってしまうものなんだろう。 僅かな繋がりすら壊してしまった自分を責めて、あたしはただ泣き濡れていた。 2 4 |