あなたを想う四季 4

【冬のはじまり】

この世には、言霊というものがあるのかもしれない。

「もしも高彬と離婚したら」

そんな言葉を吐き出したあたしは、その事について考えをめぐらせるようになった。

この数ヶ月、守弥との事は別として、高彬とは特に問題もなく過ごしていた。
むしろ、罪悪感の分だけ、彼には優しく接していたような気がする。
それが、あの言葉を口にして以来、彼に対する愛情が急速に薄れていくような気がした。

あんなことがあってしばらくは、物忌みと称して、会う事を控えた。
でも、そうも言っていられなくて、しばらくして、高彬を迎え入れる。
久々に会った夫に感じたのは、苦痛にも似た感情だった。

「瑠璃さん、今日はどうしたの?」
「なんでもないよ、別にいつもと変わらないでしょ」

様子のおかしいあたしに、高彬が不審がる。
あたしは何でもないふりをして、相手をした。

やがて、夜が深くなり、当然のように、高彬に床へ倒された。
いつもの仕草なのに、鳥肌が立った。
どうしようもない嫌悪感がわいてきて、受け入れる事が難しかった。
今日は具合が悪くてと必死に誤魔化した。
その次は、月のものがと、言い訳をした。
彼が来なければいいのにと、思い始めた。

何度かそれを続けるうちに、高彬が不審を抱き始める。
やがて焦れた高彬に、強引に事を運ばれた。
もともとそういう方面にうとかったあたしだけれども、木石か何かのように、彼を受け入れた。

暗闇の中でぎゅっと目をつぶり、こうすることが守弥のためなのだと自分に言い聞かせる。
あの声が頭の中で何度も何度も聞こえてくる。

−私の若君を裏切ったら、一生……許さない

あの人の顔と声を思い浮かべながら、拷問のような時間に耐えた。
そうでもしなければ、あたじは自分の夫を受け入れられなくなっていた。


あれから、守弥はあたしの呼び出しには一切応じなくなった。
往生際悪く何度も試みてはみたものの、文すら受け取ってくれなかった。
そんな折に、高彬がふと守弥の話をした。

「最近ね、守弥がやけに三条へ行ってはどうですかって言うんだよ。以前とは正反対に積極的でちょっとびっくりする」

あたし達の仲があまりうまくいっていないのを、彼は知っているのだろう。
なんとかして、彼なりに、関係を修復させようとしているのかもしれない。
守弥から文をもらったのは、その直後だった。

「いろいろと心配な噂を聞いています。
もうそろそろ気分が落ち着かれた頃でしょうか。
どうか、若君のよい妻でいてください。
それだけが私の望みです」

高彬の妻として過ごすことだけがあの人の望み。
その文をみた瞬間、もう、逃げ場がないんだと思った。
あの人の望む瑠璃で居続けなければ、あたしは一生許されない。
別れ際の、あの呪いの様な言葉が、

その夜、あたしは、高彬に自分から抱かれた。

抱かれるたびに、守弥を想った。
これが守弥の腕だったら。
守弥の唇だったら。
そう思うと、苦悶の夜が楽になっていった。
想像するたびに、自分が熱くなっていくのがわかった。

「今夜の瑠璃さんは、ちょっと凄いね」

耳元で囁く声を拒否した。
これは守弥だから。
あたしは、今、守弥と過ごしているから。
だから、これほどまでに、深い快感の中にいる。
あたしは、自分の心を殺す術を学び始めた。

「瑠璃さんは変わったよね。艶があって……時々どきっとする」

以来、高彬はあたしをすごく誉める。
おとなしく屋敷の中で過ごし、高彬を迎えて、穏やかに笑うあたしをひどく褒め称える。

ちょっと寂しいけど、あなたも大人になったってことなんだよね。
こんな艶やかな女性になるなんて、僕って先見の明があると思わない?

笑顔の下の思いなんて、この人は知りもしない。
心を凍りつかせて過ごさなければ、あなたの妻でいることなど出来ない。

こんなふうに心も体も裏切り続けているというのに、高彬は気付かない。
別の男を想い続け、行動の端々に、恋するの人の影を追っているあたしに、気付きもしない。
ひどい罪悪感と、あたしの表面しか見ていない夫への嫌悪感と、すべての感情を隠して笑うあたしを、優しく抱きしめる腕。
もう、あたしには彼のうすっぺらな愛情に縋ることも出来なかった。
離れていく心はどうしようもなかった。


冬の間に、高彬は、別に通う人を作った。
そろそろもう一人ぐらい妻をという実家の声に押し切られて悩んでいた高彬に、あたしが背中を押した。

「もういいのよ。それが、本来の正しい姿なんだから。高彬の出世の邪魔はしないよ。あたしは大丈夫だからね?」

せめてよそに通う方を作ってくれれば、罪悪感も減ってゆく。
あたしも楽になれる。
そんな打算で言った言葉だったのに、高彬は感極まってあたしを抱きしめた。

「瑠璃さん、ごめんね。ありがとうね。どんな事があってもあなたが一番だからね。本当だよ」

心のない人形を大切に愛でる姿に、他人事のような目しか抱けない。
あたしの心は、どんどん薄汚れて醜くなっていく。
いつまで、こんなふたつ心を抱いて、高彬と過ごしていけばいいのだろう。
守弥を忘れてすべてをなかった事に出来れば、また高彬への思いを取り戻す事ができるのかもしれないと、何度も思ったけれど、あの日から何ヶ月が過ぎても、あたしの思いは色あせることがなかった。
時々、高彬の口から漏れる守弥の消息を、息を飲んで聞いている。
そのたびに、恋心は、まだ、封印はできていないと知る。

疲れた……。
本当に、疲れていた。
何のために生きているのかもわからぬほどに、疲れていた。
あたしを支えているのは、あの時守弥が言った、冷たい言葉だけだった。

−私の若君を裏切ったら、一生……許さない

その言葉だけが、あたしを支配していた。