ひざまくら



「今上がまもなくおいでになります」

ばたばたと先触れがやって来たのは、小春日和の午後のこと。
風雅な遊び人に見えて、実は政務に関しては一切手を抜かない鷹男は、日の明るいうちに藤壺へ来る事は滅多にない。
どこそこの局で絵合わせだ、歌読みだと、後宮からの誘いがあれば何処へでも顔を出すけれど、あれは帝業の一環のようなもので、日中に、前もって連絡もなしに遊びにやってくることはまずないのだ。
珍しい事態に女房達が色めきたち、ばたばたと調度の用意をはじめるのを、あたしはぼうっと眺めていた。

鷹男には久しく会っていない。
しばらく来れないと御文をもらってから10日以上たつ。
くれぐれも局でおとなしくしているようにと、人知れず念を押されて、あたしは望みどおり局で静かに過ごしていた。
顔をみたらどんな恨み辛みを言ってやろうかと思いながら、この10日を耐えてきたのだ。

「どうしましょう。常ならば、お膳のご用意もして私どもは控えの間に下がりますけれど、まだ日も高こうございますし、、、」

戸惑う小萩に向かって「必要ないわよ」と言い放った。

「姫様、では、本日はお人払いはせずに?」

夜、鷹男が訪れる時は早々に2人きりになって過ごすのだけれど、こんな昼日中からそんな心配をするのもどうなのよ?
だいたい、あたしは喧嘩する気、満々なんだから。

「2人きりにしてちょうだい。だけど、鷹男になんて何一つもてなす必要はないわよっ」

扇を握り締めてびしっと宣言する。

「おやおや、大層な意気込みですね」

背中から、暢気な声が降りてた。
目の前には、硬直した小萩をはじめとする女房一同。

「こ、これは……、い、いらせられませ−−」

顔色を失った女房達は、何事もなく装って、何かご用意を致しましょうか?と尋ねる。

「必要ないって言っているでしょ!」

再び叫んだあたしを無視して

「今はいい。しばらく人払いを」

と、扇をパチンと弾くと、蜘蛛の子を散らすように、女房達は退散していった。
気まずい沈黙が訪れる。

「久しぶりに会った夫に随分な態度ですね? 瑠璃姫」

物腰も柔らかな鷹男だったが、目が笑ってない。
あたしの態度に怒っている。
だけど、あたしだって怒っているのだ。
あたしはぷいと鷹男から目線をはずして、ぼそりと聞いた。

「熱があったんでしょ? もう大丈夫なの?」

一応は心配していたのだ。
その点ははっきりさせておきたい。

「もともとただの風邪なんですよ。皆が大げさすぎるのです」

血色のいい元病人は艶然と微笑んだ。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

先日、鷹男は風邪を引いた。
風邪ぐらい誰でも引くんだけど、帝が引くというのは政治的な出来事のようだ。
幼い頃には病で死に掛けた事もある鷹男だが、成人してからは病らしい病も得ていなかったので、久しぶりの事態に、すわ一大事と、清涼殿は上を下をの大騒ぎになったらしい。
御典医だ、薬師だ、加持祈祷だと、バタバタと皆が走り回る中、早々に大内裏を帰参していた上達目が屋敷から次々と戻ってきて、流行り病じゃないのか、病状はいかがしたと、深刻な顔つきで殿上間で夜を明かしたのだとか。

前の日に、藤壺へ来て、くしゅんくしゅんとやっている鷹男を見ていたので、ただの風邪に大げさなことと、騒ぎを鼻で笑っていたあたしだけど、あまりの騒ぎに、さすがに深刻な病状かと焦ったわ。
様子を見に行きたかったけど、こういう時に女御という身分は不便なもの。
音に聞こえた不良女御といえども、そのあたりは外聞を慮って我慢した。
この瑠璃姫が相手の立場を慮って我慢しちゃうなんて、ほんと、愛って偉大だわと、自分で自分を褒めてやりたい。
で、父さまに病状を聞いて、やっぱりただの風邪らしいとほっと胸をなでおろしていたのよ。

そんな時に鷹男の遣いがやってきて、心配しないでほしいと言伝があった。
周りがうるさくて筆を持つ事もはばかられるのだとか、遣いは言っていたわね。
鷹男もあたしを気遣ってくれてるのねと、不覚にも愛情を感じてしまった。
で、早く元気になってね、瑠璃は会えずに寂しいですと伝えてね、と殊勝な事を返答をしちゃったりして。
ところが、遣いの命婦はとんでもない事を言い出した。

「今上は女御様がこちらに忍びでいらっしゃるのではと大変心配しておられます。悪い病でもうつして、女御様に万一があっては大変な障り。御子を宿しておられるやも知れぬ御身をいとわれて、くれぐれもご遠慮くださいませ」

恥ずかしい事に、いもしない御子を引き合いに出して来るなと釘を差したのよ!
日頃の行いが行いだから鷹男が念を押すのもわかるけど、あまりにデリカシーがないというか、じゃあ、子供さえ居なければどうでもいいのかと、会いたいと思う気持ちを見事に否定してくれちゃって、とか、あたしは怒鳴りつけたい衝動に耐えながら、にっこり笑って答えたわ。

「さっきの言葉は取消してくださる? もちろん行きませんわ。だから、完全に治すまでこっちには来ないでって伝えて頂戴!」


結局、かれこれ10日以上会っていなかった。
2,3日前から政務に復帰したという連絡は来ていたが、、しばらくは夢で会う事にしましょうと暢気な恋文を鷹男は送ってきた。
相手が夜御殿におわす賢きあたりじゃなかったら、今頃、ふざけんなって怒鳴り込んでいるところよ。
勿論、御文は無視してやったわ。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

「政務はどうしたのよ? たまっているんじゃないの?」

「病み上がりだから控え目にと、早々に追い出されました」

全然、病み上がりに見えない元病人は、無駄に色気のある笑みを浮かべている。
心配をかけた恨みもあって、ついつい口調が邪険になった。

「過保護よねえ。たかが風邪で10日も休みだもんね。どこの坊ちゃんよ。
って、あんた、確かにお坊ちゃまだもんね、仕方ないか、はっはっはー」

しらじらしく笑ってやると、鷹男は顔に浮かんでいた怒りを引っ込めて困ったように笑った。

「そう怒らないでください……」

あたしのただならぬ怒気を感じたのか、下手に出た。
ふん、今頃になって機嫌を取ろうとしても遅いのよ。

「本当は姫が何を怒っているのかもよくわからないんです。
とりあえず完全に直ってから来ましたが……」

律儀に、売り言葉を守って完治させて来たらしい。
その言葉に免じてストレートに苦情を言ってやった。

「鷹男はデリカシーが無さ過ぎるのよ! ひとが会いたいのを我慢している時に来るなとか! お腹の子に万一があったらって、何よそれ!」

「はあ? なんですかそれは」

「御子を宿しておられるやも知れぬ御身をいとわれてって、命婦が言ったわよ!」

「ああ……、そういう事でしたか。参ったな……、そういうつもりで伝えたわけではないんですが……。すいません、あなたを傷つけるつもりではなかったのです」

鷹男は陽のあたる庇近くまで脇息を引きずってきて、そこにもたれて座った。
どうやら何か誤解があったらしい。

「あなたは健康そのものだから今まで内裏で風邪ひとつ引いたこともないですけれど、万一寝込むような事になれば、そのまま宿下がりするのがしきたりですからね」

庭を眺めながら鷹男は静かに語った。

「そんな事になったら、10日会えないどころではありません。それは我慢できないと思って……万一があってはと。御子云々などと言ったつもりはなかったのですが、人づてに伝えるのは難しいですね……」

病を得て内裏に留まれるのは帝だけ。女御といえども病は厳禁なのだ。
里から戻って来るには、日を選んで何してと大変な労力が必要だ。
会えなくなるのが嫌だから万一にも来るなと言ったのだと、肝心の部分が伝わっていなかった。
しかも肝心の部分を遣いにまではしょったために、命婦はそれを御子云々ととんでもない解釈をして伝えた。
すべては誤解だった。
あたしは、この10日の怒りをどこに持っていこうかと拍子抜けした。

「ご、ごめん……、勝手に勘違いして……」

「私も言葉が足りませんでした。お互い様です」

鷹男が、手招きした。
鷹男の横にちょこんと座る。
陽が差してとても暖かい。

「心配をおかけしてしまったのですね?」

顔を覗き込まれ、無理矢理目を合わさせられた。

「し、心配なんてするわけないでしょ! ただの風邪だっていうのに!」

ぷいと顔を背けて宣言してやる。
鷹男が小さく溜め息をついた。

「いつもはうまく隠すんですけどね、ついつい咳をしてばれてしまいました。不覚です。」

鷹男はおどけるように肩をすくめて自嘲した。
その言葉に、はっとした。
後ろ盾のない東宮だった鷹男には、その地位を狙う輩の目がいつも光っていて、今以上に病ひとつが政治的な意味合いを持っていたと聞く。
大皇の宮もかつて言っていたではないか。
鷹男が生死を彷徨う枕元にまで、次期東宮をめぐる怒号が聞こえてきたとか。
きっと鷹男にとっては、たかが風邪ひとつでも、暢気な話ではないのだ。

「ごめん。あたし、ちっとも気付いてなかった」

帝ともあろう人が、風邪ひとつ、誰にも悟られないようにこっそり隠してきた。

「ああ、そういう意味じゃないんですよ。少なくとも今はね」

鷹男は、いつもの表情で不敵に笑った。

「堂々と執務をさぼれるのもたまにはいいんですが、人がバタバタ出入りしてはかえって気が休まらないので面倒でね」

そして、あたしの膝に頭を預けてごろりと横になった。

「それに、たかが風邪であなたに会えないほうが辛い……」

あたしの髪をもて遊びながらにこりと笑って、10日前に、本当は言って欲しかった言葉をくれた。
あたしも笑顔になって、あの時撤回した言葉を伝えた

「あたしも、寂しかった。早く鷹男に会いたかったよ」

鷹男の奥さんなのに、風邪を引いた夫に会う事もできない。
まあ、それは普通の通い婚でも同じことなんだけどさ。
なまじ、渡殿をへだてたすぐ向こうに鷹男がいるというのに、侍従やら女官やら僧侶やらが清涼殿へ向かう足音を聞くばかりで、会う事ができないなんて、理不尽な事に憤っていた。
風邪ぐらい根性で追い払いなさいよと、鷹男の気持ちも知らずに、心の中で叫んでいた。

「今日はここで午睡をしようと思って来たんです」

完全に力を抜いた鷹男の頭の重みが膝に伝わってくる。

「こうして政務をさぼって昼間からあなたと過ごせるなら、たまには風邪を引くのもいいかもしれないですね……」

「甘えん坊ね。膝枕ぐらい風邪引いてなくてもいくらでもしてあげるのに」

鷹男の、柔らかな髪をすきながら、あたしは暖かい気持ちになる。
日差しのせいだけじゃない。
鷹男の愛情が、暖かい。

「本当は、あなたの笑顔が一番の薬なんですよ。」

穏やかな顔で笑った鷹男が目を閉じた。
整った顔が無防備な寝息を漏らしはじめる。
ここ数日のささくれ立った気持ちは、すっかり何処かへ行ってしまった。

あたしにとっての特効薬も、鷹男だ。
よく眠る鷹男の額に、そっと唇を寄せた。

「早く元気になるおまじない、してあげる」

誰が聞いているわけでもないのに、気恥ずかしくなって自分の行動に言い訳をしてみる。
にやりと、寝ているはずの鷹男の唇がわずかに動いたような気がした。
きっと気のせい。
眩しい日差しが見せた錯覚だと思うことにする。
鷹男の眠りを守るように、あたしは、静かに、静かに庭を眺め続けていた。


ネタに詰まってずうずうしくも妄想絵をおねだりしてしまいました。
露香姫のくらくらする「ひざまくら」。この絵を見て即座に浮かんだSSがこれです。
とろけるような鷹男の微笑みに、これは日常じゃない、絶対に、久しく会えなかった喜びがあったに違いないーーと、10日の別居生活をしていただきました。(たった10日かいっ!)
ネタをもらえればいくらでもSS書けるような気がするーー!(←おねだり)

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