犬も食わない顛末
瑠璃が藤壺女御として入内しています。

季節は弥生の終わりだった。
晩春に咲く藤の花が白から紫に色づきはじめ、競うように咲きはじめている。
藤の花といえば、もちろん、藤壺の局。
内裏で最も美しく咲く藤棚のあるこの局には、この季節、多くの殿上人が花見に訪れる。
かくいう私も、清楚な藤の花に魅せられて、毎年、この花の季節を楽しんできた。
だが、今、私は、重い足取りで藤壺へ向かっていた。

ここ藤壺には、私が最も愛する女御がおられる。
まだ僅かな自由が許された東宮時代に、内裏の外でみつけた可憐な花。
臣下の妻になろうとしていた少女に心を込めて想いをつげ、密かに通いつめ、私の誠意を認めていただき、ようやく内裏に来ていただいた。
愛しくて3日も空けず局に通いつめて、その寵愛が噂にのぼり、時の人となった。
それは、女御が入内してから何年が過ぎても変わらない。

陰謀うずまく内裏に上がってもかの姫は変わらず、自由奔放で率直で私をひきつけてやまない。この方の笑顔を守ろうと、女御は極度の人見知りなのでと、内大臣ゆかりの者以外立ち入らないように極力配慮してきた。
ご本人も、後宮で開かれる女楽や歌合せなどには興味がないので、人見知りを口実に滅多に出ていくことはない。
結果、主上は藤壺の御方を誰にも見せたくなくて隠してしまわれたと、揶揄されることになった。

入内当初から、藤壺女御のご威光にあずかろうと、殿上人達は藤壺へ引きもきらずに面会を求めていたというが、ここ最近は、その数も尋常ではない。
人見知りの女御の元へ自由に参内を許された数少ない公達が、当代一の出世頭と呼ばれる方々ばかりだからだ。藤壺に通いつめている私と懇意に話をする機会を得る事が出世への早道になると皆、勘違いしている。
実際は、数々の事件に暗躍している破天荒な女御が、事件にかかわった者たちと親交を深めているだけの事。内々の事件だけに表立って功績を認めることができないが、皆、実力で出世した者ばかりだというのに。

そんな事とは知らない痴れ者たちは、藤壺を目指す。
政治向きのことに興味のない姫がすげなく対面を断ってしまうので、浅ましい思惑が成功する事はまずなかったけれども。

そして、この季節、藤壺は急に騒がしくなる。
訪れる殿上人には滅多に会おうとしない女御が、この季節だけは、どなたでも向かえ入れるからだ。何でも「花は見られるためにあるのだから、独り占めはよろしくない」と申されたとか。
本人はそんなことは断じて言った覚えがないというのだが、流れてしまった噂はどうにもならず、局を開放し、宴の席を設けている。
あにはからんや、殿上人は、藤などそっちぬけで女御との対面を目指す。
必然と、三日と空けずに藤壺に顔を出す私も、彼らのもとへと顔を見せ、親交を深めるのだ。
藤の宴は年を追うごとに人が多くなっているような気がしてならない。
まったく、ありがたくも嘆かわしいことである。


「主上のお渡りでございます。主上が藤壺に渡られます」

先触れの声にあわせて、ゆっくりと渡殿を進む。
藤棚に面した一室では、公達達が集まり風流な宴を楽しんでいる。
この夜の趣向は、女御へのご機嫌伺いに来た私が、その場へ姿を現すというものだ。
皆が期待しているというなら茶番といえどもこなさねばならない。

まずは、連日のもてなしに疲れ、朝から臥せっておられるという女御の元へ顔を出す。先触れや侍従の君は簀子に控えさせたまま局へ入ると、腹心の女房2人が御簾の前に控えていた。

「女御は既に御帳台でお休みでございますが、いかがいたしましょうか」
「疲れておられるのだろう、顔だけ見てゆく」

そのまま御簾内に入った。
奥で付き添っている式部の小萩殿と目が会あった。
夜具に目を落とすと、案の定、中が膨らんでいるが、姫の姿はない。
わかっていたことだが、小さく溜め息を漏らした。
小萩殿は頭を下げ、「まだ見つかっておりません」と私だけに聞こえる声で耳打ちした。
そう、我が最愛の后は、ただいま家出中なのである。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

昨夜の姫は相当に煮詰まっていた。
苦手な社交辞令を交わし愛想を振りまいているのも10日が限界だったらしい。
さすがに気疲れして、頭を抱えて早く藤の季節が終われーと唸っていた。
そんな姫がかわいらしくて、思わず笑ってしまったのが運の尽き。

「こんな思いまでして、我慢しているのは誰のためなの?!」

姫は調度を投げつけて怒った。
真っ赤な顔で怒る姫も愛しいと、私はますます笑みがこぼれる。
自由奔放で飾らない私の妻は、私のたったひとつの宝。
本当にそう思っているのに、姫には真意が伝わらなかった。

「バカ鷹男! 真剣に聞いてるの!」

ぶるぶる拳を震わせて、憎まれ口をたたく。

「そうは言っても、そんな愛らしいお顔で怒られては、私は悩ましいばかりですよ」
「バカ! スケベ! そんな事ばかりいつも言って!」

とんでもない言葉遣いをなさる姫。
そんな姫すらも愛しい私は、姫の体をとらえて抱きしめた。

「仕方ないでしょう? 私はあなたが愛しくて愛しくてたまらないのだから」

なんだかんだと私の言葉に弱い姫は最後には怒りを解いて、朝まで懇ろに慰めて差し上げ、仲良く過ごした。

……と思ったのは私だけだったのか。
朝、目が覚めると、隣に寝ているはずの姫の姿がなかった。
枕元には簡単な書き置き。

「家出します。2,3日帰ってきません」

姫が内裏に上がられてから一体何度目の家出であったのか……。
これまでにも数多く家出をなさっている方だけれども、喧嘩のあとの家出というのは初めての事で、一体何が悪かったのかと、朝の支度に訪れた女房達が事態に気付くまで、私は姫の文を握り締めて呆然と座り込んでいたのだった。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

小萩殿は申し訳なさそうにぼそぼそと語る。

「庄司丸を連れて参っておりますので、万一ということは心配しておりませんが、どちらにいらっしゃるのか……。毎回、家出の手口が巧妙になっておりまして、手がかりが……」

庄司丸というのは、私が姫につけた雑色で、身分に似合わぬ剛の者で頭も大変良い。
よく言えば世話好き、悪く言えばトラブルメーカーの瑠璃姫が、家出を繰り返すたびにとんでもない事件に巻き込まれてくるので、姫に無理矢理つけ、どんなことがあっても必ず庄司丸だけはつれて出るようによくよく言い含めてあった。
あれがついれいてば、多少のことは心配していない。
だが、今までのような退屈の虫が出てという家出とは訳が違う。
私に不満があってのことならば、おいかけて、つかまえて、よく話をしなければならない。それだというのに、1日たっても足がかりすらつかめていないという。
元はといえば姫の愚痴を真剣に聞いて差し上げなかった報いだが、私は、焦燥感にかられていた。

「恐れながら、2、3日帰らないという事は、逆に言えば2、3日したら帰っていらっしゃるという事でもありますから。あまり騒ぎ立てずにやり過ごすのも手かと思いますが……」

姫の家出には慣れっこの小萩殿がおそるおそる進言する。
そんなことはわかっている。
女御の病を装い、こうして私自らがアリバイ工作をしていれば、2日などすぐたつ。
だが、理性ではわかっていてもどうにもならない事もある。
恋しい人に雲隠れされた者にとって2日という時間がどれほどつらいか、味わった者にしかわからないのだ。

「……とにかく、探索の手は緩めないように。行方がつかめたら、いついかなる時でも連絡を入れるように」

そういい残して御簾を出た。

「明日も参ります、姫。ゆっくりとお休みなさい」

侍従たちに聞こえるようにわざとらしく声をかけ、私を待つ宴の席へ向かった。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

夜も深く、そろそろ局を辞そうかという頃になって、待ちに待った知らせが届いた。

「酔ってしまったようだ。清涼殿に戻るのもつらいこと。今宵は私だけの藤の元へ参ろうか」

そんなことを口にして煙にまき、公達たちに囃されながら、女御の部屋へ向かった。
局の前に立ち、居ないのはわかっているけれど、供の者たちの手前、盛大に愛の言葉を押し売りする。

「もうお休みになられましたかな。寂しくて今宵もこちらに来たくなってしまいましたよ」

侍従たちが静々と清涼殿へ引き上げていく足音を確認して、格子戸を降ろさせる。
ひとり、ふたりと女房達がその場を辞していく。

簾内には人影が2つ。
小萩殿の横には、知らせを持って参った者が控えているのだろう。
どこで聞かれているかわからない。
念には念を入れて、愛の言葉を述べてから御簾内に入った。

「藤の花がとても綺麗で、こちらの藤はいかがだろうと恋しくなってしまいました。お休みのところ申し訳ないが、あなたに恋する愚かな男をどうか………」

私は、ばさりと扇を落とした。
そこにいたもう1人の影は、私の探していた瑠璃姫その人ではないか。
御簾を半分持ち上げたままの姿勢で、私はしばらく固まっていた。

「早くこっちに来なさいよ」

ばつが悪いのか、扇で顔を隠してぷいと横にそらした瑠璃姫が、言葉だけは殊勝に私を誘う。
はっとして、飛びかかるように近づいて、がばりと姫を抱きしめた。

「痛い、痛いよ、鷹男、ちょっと離してよ!」
「離しません!」

姫はばたばた暴れていたがそんな事にはかまわずに抱きしめる。
逃したら、どこへ飛んでいってしまうかわからない。
もう、バカバカバカと、背中をポカポカ叩くのもかまわずに、姫のぬくもりを確かめる。
「ごめんてば。もう、こんな家出はしないから!」

その言葉に顔をあげて、瑠璃姫を覗き込んだ。

「その……煌姫のところに行こうと思ったのよ。2、3日いて愚痴を言ったら戻ってこようと思って」

姫は、ぽつりぽつりと家出の仔細を語りだした。

「あんまり早いのもなんだから、昼間は京の町をぶらぶらして。で、夕方になって、庄司丸に事情を話して六条に連れていってもらおうと思ったら、こういうのはよろしくありませんって内裏へ連れて戻ってこられちゃって……」

でかした!
私は、あとであの者に山ほどの褒美をとらせることに決める。

「最初はなんでと思ったんだけど、小萩から、鷹男がすごく心配してたって聞いて……、その、悪かったと思ったわ」

姫は、家出ごときで私がそこまで心配するとは思わなかったらしい。

「少しだけね、ほんのすこ〜し、思い知らせてやろうと思ったのよ。鷹男が、あんまりあたしのいう事を真剣に聞いてくれないから」

やはり原因はそれだったのか。
拗ねたお顔も可愛くて、ほっとしてしまった私はやはり笑ってしまう。
いけない、これがいけないのだ。
この際、姫にはとくと判っていただかねばなるまい。

「あなたを憤慨させたことは謝ります、瑠璃姫」

少し体を離し、正面から瑠璃姫をみつめる。
うん?と小首をかしげる仕草が、もう、強烈に可愛らしい。
こんな可憐な花を見せられて、手を出すなというほうが土台無理な話なのだと、いい加減気付いて欲しい。

「私はあなたが何をしていても愛しいのです。笑う姿も、怒る姿も、こうして拗ねる姿も、何もかもが愛しくて微笑まずにはいられない。些細なことにも真剣なあなたを見ていると、私は嬉しくて楽しくて、毎日が笑って過ごせるのです。笑っているからといって、あなたの話を真剣に聞いていないわけじゃないのです」

私の告白に、姫が頬を桜色に染めた。

「そ、そ、それはわかっているんだけど……」

私の言葉に弱い瑠璃姫は真っ赤になって口ごもってしまう。
これもいけないのだ。
今日は、瑠璃姫の言葉をとくと聞こう。

「わかっているんだけど?」

私は、先の言葉を促した。

「鷹男が、あんまりそんな軽口ばかりたたくから、時々、あたし、本当は適当にあしらわれているだけなんじゃないのかなとか、考えちゃうのよ。あんたもなんだかんだ言って本心を隠すのが得意な帝サマだし」

そんなことを考えていらっしゃったのかと、思わず溜め息がもれる。

「い、いつもそんな事ばかり思ってるわけじゃないのよ。鷹男が、あたしには本音でぶつかってくれてるって、わかっているのよ? それが嬉しくて、鷹男の本心は何でも聞いてあげようと思うんだけど、それはそれで、鷹男があんまりすごい事ばかり言うもんだから、それは一体誰のことなの?って照れちゃって言葉が出てこなくなっちゃうのよ。で、思っている不満が半分もいえなくなっちゃって。悔しくて……。だから、こうなったら家出して困らせてやろうって……思ったり……して。」

私は今度こそ、渾身の力を込めて姫を抱きしめた。

「い、痛い! 痛いってば!」

口ではそういうものの、大人しくなすがままになっている姫。
忘れ去られ、具合が悪そうにもじもじしていた小萩殿が意を決して立ち上がるのが横目に見えた。
ばさりと御簾をはらって向こうへと足早に消え去る。
姫は、私に夢中で、そんなことすら気付かない。

「姫、今度という今度は思い知りましたよ」
「な、何を?」
「あなたが私の愛を片時も疑うことがないように、囁き続けて差し上げます」
「だ、だから! それがね! 逆に疑わしいんだってば! そのオーバーなのをやめてくれないと言いたい事の半分も言えないのよ!」
「対処療法ですよ。言い続ければ慣れるものです。私がどれだけあなたを愛しているのか、妙な事を考えないように思い知っていただきます」

私は、力強く宣言した。

「お、お、思い知るって……、まさか……」

なぜか顔面蒼白な姫に向かって、優しく微笑みかける。

「私の言葉に弱いのでしょう? 慣れるまでいくらでも囁き続けてさしあげますからね?」
「いや、いい! いらない! もう疑わない! 鷹男を信じる! 妙なこと言わない!」

追い詰められた兎のように可憐な姫が必死に訴える。
ああ、なんてこの方は可愛らしいのか。

今宵も私の悩みは尽きない。


2005.9.23

お馬鹿な話ですみません〜。 鷹男、変です。瑠璃も変です。
一生やってろっていう馬鹿っぷりです。  では、逃亡っ(((((((((((((((((^^;


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