犬も食わない顛末  パート2
翌日の話です。今度は瑠璃視点で、鷹男は殆ど出てきません。

「はああっーーーっ」

眠い。眠くてたまらない。
御簾ごしに部屋へ入ってくる柔らかな日差しをあびながら、あたしは盛大なあくびをこらえもせず何度も繰り出していた。

「瑠璃さま、せめて扇で抑えるとか、声を小さくするとか、どうにかなりませんの」

小萩が呆れ顔であたしに進言するのをふんと聞き流して、脇息に肘をつき、本格的にごろりと寝る体制に入った。

「昼間っから何て格好をなさっているんですか。主上のご寵愛の女御様の名が泣きますわよ」

あたしが昼間っからごろごろしているのも、色気のないあくびをするのもいつもの事だというのに、今日の小萩は朝からがみがみと煩い。
昨日の家出で一日気を揉んでいたのをまだ恨んでいるんだろう、小さい女だ。

「勝手に泣かせておけばいいのよ。どうせあたしが何やったってうつつで夢を見たとしか思わないわよ、きっと。」
「それはそうですが、こんな端近ですし、人も多いこの時期は気をつけませんと」
「疲れて臥せっている筈のあたしに無理矢理会いに来る人なんて鷹男以外いやしないわよ!」

あたしは半ば八つ当たりで叫んだ。
昨夜は心配させたお仕置きとやらで、宴の声が遠くから漏れ聞こえてくる中で、鷹男にさんざん意地悪をされた。
あたしは恥ずかしいやら悔しいやら、朝起きたらもう一度家出してやろうかと思ったが、それすらも見越した鷹男に、当分大人しくしているようにを約束させられた。更に「瑠璃姫ともあろう方が約束を反故にはされませんよね」との念を押しよう。腐っても帝というか、帝のくせにあざといと言うべきか、とにかく、全面降伏となったわけだ。

起きてみれば鷹男はとっくに清涼殿に戻っていて、日もすっかり高くなっていた。
朝寝坊がすぎると、不機嫌な小萩にガミガミと嫌味を言われつつ、まずは腹ごしらえと、遅い朝餉をいただいた。
お腹が満足すると、やっぱり気になるのは昨日の一件だ。
黙って家出して心配をかけたのは悪かったが、どう考えても昨夜のアレは理不尽にいじめられたような気がする。
元はと言えば、鷹男が人の話をきちんと聞かないのが悪いのに、結局、ヤツは一度も謝らずにその辺をウヤムヤにしてしまった。
あれは絶対確信犯だ。あたしが鷹男の言葉に弱いのをわかっていて、都合の悪いことは全部誤魔化そうとしているとしか思えない。ここらで一発きついお灸を据えてやらないと、あたしってば、鷹男のいいようにされちゃうんじゃないかしら。
別に男と女のカケヒキとか、そういう事をする気はないけどさ、この瑠璃をそのらへんの女御といっしょに考えてもらっては困る。
うん、やっぱり鷹男にも罰を与えて、反省してもらわなくちゃ。

あたしは障りがない程度に、御簾の端まで近づいて日向ぼっこを楽しみつつ、あれこれと鷹男を懲らしめる方法を考えていた。
すると、朝議を終えて藤壺の宴席にやってきた公達たちの声が聞こえてきた。
慌てて扇を顔を隠したが、動くのは面倒なので女房か何かを装ってその場に居座った。

「女御はまだお休みになっておられるそうだよ。さては昨夜も主上のお渡りがあったのか」
「おう、そのようですよ。昨夜はだいぶ御酒も召し上がっておられたが、そのままお渡りになったとか。臥せっておられるというのに連日のお渡りでは、女御も身が持たないだろうよ。いや、主上もお若い、お若い」
「案外、藤壺に人が多いので、主上も気が気ではないのかもしれませんね」
「そこまで主上をとりこにする女御に、今日こそはお声をいただきたいものだ」

あっはっはと笑いながら近づいてくる公達たちは、とんでもない噂をしていた。

なんで、真っ昼間からはしたない事を大声で語り合ってんのよ、あんたたちは!
まさか女御のあたしがこんな端近まで出てるとは思ってないんだろうけど、それにしたって、この局の前を通りながらする会話じゃないでしょうが!
いや、それよりも、見ず知らずの公達にまで鷹男がいつココに来たか全部筒抜けってどういうことなのよ!
やぱり、主上がお渡りになります、なりますって触れてまわってるアレが原因なの?

恥ずかしさに扇を持つ手をぶるぶる震わせていると、不心得な公達二人が、あたしの前の簀子でぴたりと止まった。

「こちらは、藤壺の女房殿かな。尊きお方は、まだ奥でお休みでおられますか?」

さっきまで露骨な会話をしていた輩は、急に優雅な口調で尋ねてきた。
いきなり話しかけられてあたしはびっくりした。

「あ…っと、もう起きていますケド……」

あたしがとんまな返事をすると、小萩が鬼のような形相であたしの前に滑り込んできた。
「これは、左少弁様に、白川の蔵人様、ようこそおこしくださいました」

顔は怖いのに、声だけはおっとりと優雅なので、あたしはびびったわよ。
小萩は後ろ手でしっしっとあたしを奥に追い払おうとしている。
その迫力に気おされして、思わず後ろへ下がっちゃったわ。

どうでもいいけど、五位だか何だかの下っ端貴族の名前と顔をこの子はきちんと覚えているのかしら? 御簾越しでよく見えないっていうのに、しっかりと判別してるっていうんだからたいしたものじゃないの。
この子もいっぱしのベテラン女房なんだわと妙に感心した。

「女御様はもう身を起こしておられますが、あいにく、まだお疲れが残っておられるご様子。藤の季節も残りわずかで、皆様と最後の盛りを楽しみたいとおっしゃっておられますが、大事な御身ですから、私どもでお止めしておりますのよ」

小萩はペラペラと真っ赤な嘘を並べ立てる。

「今日こそは女御様のお声をいただきたいと思っていましたが、それは残念。して、女御様は明日には?」
「さあそれは……。こればかりは、清涼殿におわす方にお尋ねしないと判りかねますし」

小萩は袖で顔を覆ってくすくすと笑っている。
左小弁も扇をもてあそびながら忍び笑いを漏らし、本当にたいしたご寵愛振りですなあとつぶやいている。

な、な、な…っ。
あまりのあけすけな会話に、あたしは言葉もない。
この様子だと、小萩ったら、いつもこんな会話しているんじゃないの?!

あたしはおぼつかない足取りでふらふらと奥に戻っていったわ。
つまり、あたしが臥せっているのは人疲れではなくて、鷹男の寵愛が度が過ぎてってことになっているわけだ。否定できない面もあるけど、それにしたってあけすけに口にすることないじゃないの。
内裏って何てところなの。
あたしにはプライベートってもんがないわけ?!


あたしが力なく座り込んでいる所へ小萩が戻ってきた。

「まったくどなたも噂話が好きで困りますわ。姫様がいくら主上に寵愛されてても、あの方達には関係ないっていうのに、なんでこう、あれやこれや聞きたがるんでしょう」

長いことつかまっていた小萩は、ずいぶんと憤慨している。
憤慨したいのはこっちだが、何も言う気力もなくてあたしは黙っていた。

「あら、姫様、どうなされましたの?」

あたしの恨めしい目線に気付いて、小萩が尋ねてきた。

「どうなされたじゃないわよ、何なのよ、あの会話はっ!」

あたしは、とうとう怒りが爆発して怒鳴りつけてやった。
なのに小萩は心底意外といった表情で、あたしを見かえしてきた。

「会話って…左小弁さま達のことですよね。何か問題があったでしょうか」
「何かって……、あんた、独身のくせに、よくもあんな恥ずかしい会話ができるわね!」
「恥ずかしい……? ああ、主上がお渡りになっていることですか?」
「そうよ! よくも、人が寝込んでいるだの、鷹男のお渡り次第だの、ペラペラとっ。恥ずかしくて人前に出るのも嫌になってくるわよ!」

そこまで言ったのに、小萩は、どこ吹く風だった。

「もともと後宮の催しにも殆どお出ましにならない人が何をおっしゃっているんですか。だいたい、人見知りだとか、人疲れがしてとか、何かと理由をつけては皆様にお会いしようとしないのは姫様のほうじゃありませんか」

だから、人疲れがどうしたら、その……、鷹男次第っていうはしたない噂になっているのよ!

「連日お越しになる方がいらっしゃるんですもの。そんな口実を誰も信じるわけがないじゃありませんか。そりゃ、最初は一生懸命否定しましたけどね。人の口に戸は建てられないものですよ」

当然といえば当然の指摘に言葉もない。

「だからって、だからって……」
「こういう事は、聞きたいことを、すこぉし漏らしてやるのが一番いいんですわ。ここの女房達は皆、口が堅いですけど、四六時中はりついて、あれやこれやと様子を窺われたらたまりませんもの。聞きたいことをぼろっと話してやれば勝手に納得して帰るものなんです」

いっぱしの女房ぶった小萩が宣言する。
噂とかそういう事に弱いあたしはやけにきっぱり断言されると反論もできない。

「だいたい、噂が嫌ならきちっと女御としての役目を果たせば宜しいんです。本当は家出してて局にいないんですとばれるのと、どちらが宜しいんですか」

このあたりは、日頃の恨みもあるんだろう。
珍しく、声高な口調におされて、あたしは段々、劣勢となってきた。

「だったら鷹男が来なければいいのよ!」
「姫様……、それでは、その分、他の女御にお渡りになればよろしいとおっしゃいますの?」
「うっ……」

そうなのだ。あたしが入内する前から内裏に上がっておられた方もいらっしゃるわけで、鷹男がいくらあたしを愛していると言っても、簡単に打ち捨てられない政治的事情もあり、数こそ少ないがお渡りがある。
そうでなくても、あたしになかなかややができないので、そろそろ他の方を入内させてはなんて話も遠慮がちに聞こえてきているのだ。

「だいたい主上のご苦労をお考えくださいませ。姫様を哀しませたくないばかりに、やれ宇治だ吉野だと物見遊山で家出している最中にも、こちらにお渡りになってアリバイ工作をしてくださり、あろうことか、姫様の局で一人寝しておられるんですよ。そのご苦労を思えば噂ぐらいなんですか!」

えっ!
あたしは、とんでもない話を聞いて唖然としたわよ。

「何ソレ? どういうことなの?」
「あら、ご存知なかったんですか!」

小萩の話はこうだ。
あたしは時々お忍びで物見遊山の旅に出て内裏を留守にするわけだが、その間、3日と空けず通っている鷹男が急に局に来なくなると何かあったと妙な勘繰りを入れられるらしい。
また、下手に藤壺へしばらく行けない理由を作ると、せめてその間は他へと、暗に促されるんだとか。
それぐらいならばと、鷹男はあたしがいない間も藤壺へ来ていたらしい。
で、昨日みたいに、簀子でわざとらしい愛の言葉を侍従たちに聞かせて、翌朝迎えに来いと追い払って1人寝をするんだとか。
まあ、それを知っているのは、小萩をはじめ、藤壺でも腹心の僅かな女房だけなんだけど。
あまりに意外な話にさすがのあたしもあっけにとられた。

「そういう事ですから、この件については、姫様に同情の余地はございませんわ」

ここまで聞かされれば、ぐうの音も出なかった。
鷹男のことをぎゃふんと言わせるつもりが、あたしが唸ってちゃしょうがないじゃないと思うが、なんというか……鷹男、可愛すぎる。

しょうがないから、昨夜の事は許してあげようかなという気になってきた。
だって、鷹男ってば、ほんとにあたしの事を愛しちゃっているんだなーと思ったのよ。
愛の言葉ってのは口にしようと思えばいくらでもできるもんね。
だけど、こうして態度で示されて愛情を見せられると、女というのは弱いものなのよ。
そこまでしてくれるなら、多少の事は大目に見てあげようと思うじゃない?

ほんとに、我が主人ながらこんな変わった姫をあそこまで猛愛なさる方というのも滅多にいないですわよ。あの方じゃなかったら姫様なんて即離婚ですわよ、離婚と、ぶつぶつ説教を続けている小萩の言葉を、はいはいと流しながら、あたしは、夜、鷹男が来たらなんて言ってあげようかと、にやにや笑いが止まらなくなった。


その夜、鷹男がやってきて二人きりになると、今日は一日大人しくしていましたかと、偉そうなことをいい始めた。
あたしはもちろんよとにっこり微笑んで、唐突に、あたしの家出中はここで一人寝してるんだって?と聞いてやった。
その時の、鷹男の真っ赤になった顔ったら……。
ここで何してるの? 退屈じゃないのと、根掘り葉掘り問いかけても、口をぱくぱくさせながら「あ、それは」、「いや、だから」と、ロクに答えやしない。
これって、鷹男があたしに意地悪をする時に似ているなと思った。
鷹男って、こういう気持ちであたしのことを甚振っているんだわ。
こんなささやかな復讐で満足してしまうあたしもどうかと思うけど、ひとしきり鷹男を甚振って優越感にひたりつつ、鷹男の表情を楽しんだ。

そのうち、劣勢の鷹男が実力行使に及ぼうとする。
あたしは首をかしげて可愛く笑って「いじめてごめんね?」と囁いてみる。
すると、ほら鷹男の手が止まる。
こうなれば、鷹男はもう、あたしの思い通りだ。
今夜の戦いは、あたしの完全勝利で終わったの。



2005.9.27

調子にのって続編を書いてしまいました。 その後の顛末ですが、今回鷹男は殆ど出さずに萌えを追求。
作者の脳内汚染度を披露しているようで恥ずかしい(><) 今回も、逃亡っ(((((((((((((((((^^;

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