お題  「繋がったまま」



彼が、ひと差し、舞っていた。




内裏で開かれた女だけの節会に、藤宮様のお招きで、忍んで行った。
最近は、破天荒な日々を送る事もなく、平和そのものだったあたし。
すっかり安心しきっている高彬は、たまには行っておいでよと、笑って送り出してくれた。

宴の夜が開けて、翌朝、親しい方々との落ち着いた語らいの席に、ご機嫌伺いと称してあの人が現れた。
相変わらず華やかで茶目っ気があるあの方は、片目をつぶって

「堅物の夫に飽きたらいつでも出仕してくださってかまわないのですよ」

と軽い調子で囁やく。
それに対してあたしも

「人間、平凡が一番なのよ。あたし、波乱万丈はもう要らないわ」

と、流して受けた。

「おやおや、以前なら赤くなってくださったあなたも、すっかり二児の母ですね。ああ、からかい甲斐がなくてつまらない」

あの人は、そうやって不平を言った。

若い時の、懐かしい思い出。
人生を彩る鮮やかな思い出達の中でも、あなたはとっておきの輝きだったわ。
時々、心の引き出しから引っ張り出して懐かしむだけで、いとおしい気持ちが蘇ってくる。

ねえ、あなたもそうでしょう?
あたしもあなたも、沢山のものを抱えていて、それを手放す事なんてもう出来ないね?
こうして、冗談にのせて、もしもあったかもしれない別の人生を想像して、少しだけ、心をときめかせる。
それだけで、幸福になれる、穏やかな思い出だね?








そう思っていたのは、あたし1人だけだったのだ。







「主上はどちらにいらっしゃるのかしら?」

夫の身分が上がろうとも、内裏でのあたしの立場は未だに「九条」のままで。
軽々しく紫寝殿にまで出入りできる女官に身をやつして、退出のご挨拶に伺うと、
あたしの顔を見知るかつての権中将殿はそ知らぬふりで、彼の居所を教えてくれた。
「人払いを申し付けられておりましたが、あなたなら問題ないでしょう」と。






ダン、ダン。

床を踏みしめる音が響く。
渡殿に幾人かの女官の姿が見えた。
障子戸の向こうに、あの人がいるらしい。
そこから時々響く、大きな足音。

ダン、ダン。

一定のリズムを刻む足音。
そして、朗々たる声が響く。

「こちらはただ今、どなたもお入りできません」

女官達の咎めるような声だてに、元中将殿は

「この方が黙って退出なさるほうがご機嫌を損ねてしまいますよ」

と、とんでもない事を口にした。
そして、そっと戸をあけて中に入るように促した。

中に居たのは、、、、。





彼が、ひと差し、舞っていた。





来訪者に気付きもせず、一心不乱に、踊り続けていた。

華やかで自信家で、一見、軽薄にもとれる彼とは似ても似つかない。
かすれるように、小さな声で、なにかを吟じながら、
この世のどこも見てないように、暝い眼差しで、何かを耐え忍ぶように、踊り続けていた。
凍てつくような暗い表情が恐ろしくて、思わずあとずさると、かの中将の胸ににぶつかる。

「あなたには、あれを見る義務がある」

そう言って、私を再び部屋の中に押し返すと、彼は戸をピシャリと閉じた。

「まっ……」

引き戸に手をかけ、そして、そこで、止った。
彼はなぜ、義務と言ったのだろう?
振り返ると、この騒ぎに気付きもしないで、踊り続けるあの人が目に入った。


泣いているような舞だった。
孤独と哀しみに打ち震え、全身で涙を流しながら、彼は踊っていた。
何を耐えているのだろう。
何に苦しんでいるのだろう。
あんな表情で、必死に気持ちをおさえているのに、一歩ここを出たら、何もなかったかのように華やかに笑い続けるのだろうか?
一体、いつから、こんな事を繰り返していたのだろう?


もう、やめて欲しくて。
こんな哀しい舞をしてほしくなくて。
あたしは思わず、走り出していた。

「……泣かないで、鷹男」

彼の背中を抱きしめた。

「……ひ……め?」

呆けた顔で鷹男があたしを見た。

「泣かないで、お願い……」

それ以外、言葉が出てこなくて。
逆にあたしの涙が鷹男の背を濡らしていた。

「泣いてませんよ……」
「でも、泣いてた!!」

衣ごと鷹男を抱きしめていたあたしの手をはずして、鷹男はこちらを向を向いた。

「どうしました? 戻るのが寂しくなりましたか?」

そうして、あたしも煙に巻かれてきたんだろう。
いつもの軽薄なあの笑顔をあたしに向ける彼に、無性に腹が立った。

「あたしに偽るのはやめて!」

鷹男は眉を片方だけ上げて、ちょっと不審そうにあたしを見やる

「姫、何か誤解があるようですが……」
「嘘をつくのはやめて!!」

嘘を暴いたらどうなってしまうのか、あと先の事も考えられずに、気がついたら、叫んでいた。

「やせ我慢する鷹男なんて見たくない。あたしにまで、偽らなくても良かったじゃない!!」

寂しいなら寂しいって言えば良かったじゃない。
つらいって、苦しいって、独りは嫌だって、言えば良かったじゃない。
そしたら、あたし……、あたし……。

そんなあたしを見て、鷹男は途方に暮れたような表情を見せた。

「だって……、あなたは困るでしょう? そばに居て欲しいといったら、困るでしょう?」
「困るよ!! あたし、もう、あんた以外に、沢山の大切な人がいるんだもの。みんなみんな大切で、捨てられない」

ああ、何を言っているのだろう。
あたしの言っている事はめちゃくちゃだ。
鷹男の傍にいてあげたいのに。
だけど、あたしの体はひとつしかなくて。

「だから、いいのですよ。私はあなたを苦しめたくないから。」

「でも、鷹男も捨てられないの。鷹男が幸せじゃないなら、鷹男をおいて幸せになる事は、出来ないの!! どうしたらいいのかわからないけど……、鷹男にも幸せになって欲しいの!!」

あたしは鷹男の胸の中で嗚咽していた。
大切な家族−子供達を捨てられるわけがない。
何も出来ない。
何もしてあげられない。
この人の欲しいものを、何一つ、あげられない。

「あたしを、あんたに、あげられたらよかったのに……。体が、もう一つ、あったらよかったのに」

鷹男の瞳が揺れていた。

「ごめんね、鷹男を、選べなくて、ごめんね」

でも、あなたが愛しい。
その言葉は口に出して告げる事はできなかったけれど。

だから。
彼の言葉に、頷いてしまった。

「今だけ。夢を、見ても、いいですか? それ以上は、望まないから」

格好よくもなく、とぎれとぎれに、口にした、彼の言葉。

唇が触れたのは、どちらが先立ったか、思い出せない。
鷹男の手が、あたしの背中にまわって、あたしの手が鷹男の衣を引いて……。
あたし達は、もつれ合うように、その場に倒れこんだ。


あたし達は、その日、ひとつに繋がって、そして離れた。
それは、今のあたし達に出来る、たったひとつの手段だった。





あれ以来、内裏には行っていない。
季節ごとに届く穏やかな文のやり取り。
それを笑って許してくれる優しい夫。
そんな穏やかで幸福な日々。

けれど。



「ねえ、かかさま。かかさまはその舞が好きなの?」

時々、わけもなく苦しくなって、彼の哀しい舞を思い出す。
そんな時は、あの舞を見よう見まねで踊って、心を静めた。
不思議そうにそれを見ている、末の吾子。
あたしと、あの人を繋ぐ、たった一つの証。



あたしは忘れる事が出来ない。
あの日のことを。

彼と、繋がりあって、たった一度だけ、夢を見た。




作:HAL