1万ヒット記念SS:「3つの願い」 3


(鷹男の女御体験)

夜明け前に起きるのが日課の鷹男はめずらしく陽が高くなってから目が覚めた。
昨夜はとんでもない悪夢を見て、ろくに眠る事も出来なかった。
呼びに来る侍従の姿がないのをいい事に朝寝を決め込み、瑠璃姫の腹心の女房である小萩がやって来るまで目を覚ます事はなかった。

「いい加減、お起きになってくださいな。もう朝餉の支度ができておりますよ」

いきなり衣を剥がされ、ぞんざいな口を聞かれた事に眉をひそめながら起き上がる。
傍らにいつも抱き込んでいる瑠璃姫がいない事に驚き、鷹男は御帳台の上で情けなくもきょろきょろとあたりを見回した。

「姫様、主上でしたらとうに政務にお出ましでございますよ」
「姫様?」

昨夜の悪夢を思い出して、さあっと顔が青ざめた。
自身をみやれば姫の衣をまとい、長い髪がうねるように背を這っている。
鷹男は慌てて鏡箱を開け、その中に愛しい妻の顔をみつけ、力なく座り込んだ。

「悪夢の続きなんだな、これは。現実なわけがない、現実なわけがないんだ……」

よろよろと脇息にもたれて目を閉じた。

「なにを朝からブツブツおっしゃっているんですか。早く朝餉をお召し上がりになってください。本日は、例の歌会ですわよ! 女房一同、気合を入れて準備に余念がないというのに、肝心の姫様が日が昇りきるまでぐーたらぐーたらしてては示しがつきません!!」

瑠璃が入内してから、小萩は小姑並みに口うるさい。
鄙びた姫とあなどられやすい瑠璃がどうにか内裏で恥をかかずにすむように、日々ガミガミと瑠璃を叱り飛ばし、ひとかどの女御としての生活を維持させているのである。
小萩は目の前の瑠璃が中身は鷹男だなどと考えもしないから、いつもの調子で瑠璃をガミガミと叱っていた。

どちらかというと控え目な女房だと思い込んでいた小萩の変わりように、鷹男は驚く。
しかし、考えてみればあの瑠璃の女房なのだ。
唯々諾々と従う性格では瑠璃の暴走を止められるはずもないと妙に納得する。

小萩も鷹男の前では遠慮して、いっぱしの女房として振る舞っていたのだろうと察した。 鷹男に対してこのような口を聞く者など清涼殿には一人もいなかっただけに実に新鮮な体験だった。

−ふん、この姿というのも、案外面白いかもしれないな。

「帝」の姿では見る事が叶わない本音を瑠璃の姿なら聞きだす事が出来るかもしれないという考えが頭を霞めた。

「ごめんね、小萩。何しろ鷹男がアレだからさー、毎朝起きるのが大変なのよねー、あっはっはー」

いかにも瑠璃が言いそうな台詞を言ってその場を誤魔化した。
「ほんとに主上も覚えたたての若者じゃないんですから加減というものを知っていただきたいものですわねぇ」としみじみ返されたのには参ったけれども。
しかし、鷹男の前向きな気持ちも朝餉が終わると同時に一気に萎んでしまった。
下手な事を口走っては叶わぬと人払いをしようと思ったところで小萩に静止されたのだ。

「まさかお忘れですの? 本日は、承香殿で、桐壺様、梅壺様と歌会わせがございますのに!!」

そう、この日はよりによって前々から予定されていた、後宮の女御一同が集まる歌会わせの日だったのである。

「なんだか今日は具合が……」
「姫様、その手は先日の女楽の日に使ったではありませんか。今度逃げたら、藤壺女御は琴も和歌も出来ない雛者と後ろ指を指されます。和歌はそれなりに出来るんですから、今日は是が非でも出ていただきます!!」

小萩が有無を言わせぬ形相で宣言し両手をパンパンと叩くいた。
障子戸がすっと開き、きらびやかな十二単の衣装が飾られた次の間が現れる。
そこにあったのは梅をあしらった華やかな袿。
先日、鷹男が瑠璃のために手づから選んで贈った貴重な絹織物で作らせたものだった。

「主上から贈っていただいたお衣装を他の女御様方に自慢してやらねば!! あの方々は姫様の事を軽く見すぎなのです。今日は完璧に着飾らせていただきますわ!!」

なぜだかそこに控えている女房すべての鼻息が荒い。
このように殺気立った女房達を見るのも初めてで、鷹男は否を言う事も出来ずに言いなりになるしかなかった。

十二単は鷹男の想像以上に重くて暑かった。
真冬だというのに全身に汗がじっとりと浮かんでくる。
そして両肩にずしっとかかった重りのような衣装のせいで右も左も向けない。
これが鷹男の体だったらどうという事もなかったのだろうが、ろくな運動もさせてもらえない女の体では大変な苦行なのだ。
それだというのに、やっぱりこちらですわ、いえ、こちらも捨て難いわと、女房たちは鷹男をくるくるまわし、衣装を剥ぎ取ってはあわせを変え、また剥ぎ取っては飾りを変え、気の遠くなるような時間を衣装合わせに費やしている。
そして、それがやっと終わったと思ったら、髪飾りはこちらで、扇はこちらも捨て難いですわねと小物選びが始まった。

−なぜ歌会は今日だというのに、当日に衣装選びをしているのだ?!

鷹男ははしたなくも舌打ちした。
が、よくよく探ってみると瑠璃が嫌がって当日でいいとゴネたらしく、「文句があるなら前もって準備を私たちにさせてください!!」と逆に叱られてしまった。
そうこうして耐えてきた鷹男だったが、彼女たちにまかせていたらいつ終わるかわからないと観念し、自ら身を乗り出して小物を選び始めた。

「扇はこれ! 髪飾りはこっちでいい!! これに、朱色の房をつけて勾玉で結んで! 香りはこのままでいいからもう少しきつめに焚いて。あとは何を選べばいい?!」

幼い頃から内裏で過ごしている鷹男の趣味は、そこらの女房で太刀打ち出来るものではない。女房達は日頃とあまりに違う瑠璃の積極的な態度に不信感を抱きつつも、選んだものの出来が素晴らしく良いので、言われるがままに支度を終えた。
最後の化粧に至っては、紅の色に難癖をつけ、何種類かを組み合わせて色を混ぜて唇に差した。鏡の中には言うも言われぬ美しい瑠璃の姿があって鷹男は満足げに肯く。
だが、この場に瑠璃本人がいたら、なぜ女の紅にここまで詳しいのだと、厳しい突っ込みが入った事だろう。

「姫様、いつもこれぐらいやる気を出してください!!」

小萩の小言とともに汗だくで準備を終えた時には、まだ歌一つ詠んでいないというのに鷹男は疲れ果て、その場に座り込んだ。
このあとは、重い衣を引きずって承香殿まで行って、腹の探り合いをして来なければならないのだ。
鷹男は、半日もたっていないというのに、自分に戻りたいとしみじみ思った。

−姫、あなたが歌会いを嫌がる気持ちがよくわかりました……。


更に鷹男を追い詰める出来事があった。

そう、人間だれでもやってくる尿意というヤツである。
実は朝からそれなりにもよおしていたのだった。
だが、勝手知ったる体とは言え、そういった生理現象の事までは想像していなかった。
そもそも男性である鷹男は、女性の方法をはっきりとは知らない。
それで気恥ずかしくて言い出せないでいたのだ。
しかし、事態は深刻な状況を迎えようとしていた。
ここまで衣装を着込んでしまった事を鷹男は激しく後悔したがあとの祭りだった。

「わたしは……花摘みがしたい……」

搾り出すように告げた一言に、女房らが反応する。

「まあ大変ですわ。お待ちくださいませ、姫様」

十二単を着たまま花摘みをするという事がどういう事なのか。
その後の事は……、もう思い出したくない鷹男だった。


さて、歌会である。
藤壺から承香殿への道のりは、清涼殿の脇をぬけ、 弘徽殿の渡殿を通ってたどりつく。
後宮からは奥まった位置にある藤壺は、普段は他の女房と全く顔をあわせなくてすむので気楽な場所なのだが、こういう時は逆に遠くて大変なのである。
何しろ今の鷹男は瑠璃なのだから、間違って転びでもしたらすべては瑠璃の失態になってしまう。鷹男は先触れに従って扇で顔を隠して、慎重かつ優雅に渡殿を進みはじめた。
何とか裾をさばきつつ弘徽殿の入口までやってくると、渡戸の前で、女房達は顔を見合わせて真剣な面持ちで肯きあい、おもむろに、何やら歌会には似合わぬ大きな包みを持った下女達が前に進み出た。

「さあ、ここからですわ。蛇が出るか鬼が出るか、お気をつけなさいませ、瑠璃さま」
「???」

女房達が何を気色ばんでいるのかわからず、鷹男は首をかしげた。
が、渡戸が開かれ、向こうの様子を見たとたん、口をぽかんと開けた。
そこには、古来から由緒正しき嫌がらせ−汚物で汚れた廊下が広がっていた。

「掃除班、ゆきなさい!!」

たすき掛けをした下女達がさっと、包みの中からタライや雑巾を持ち出し、瞬時にその場を清めていく。着飾った女房達は「いい加減、芸がないわねえ、あの方達も」と、優雅に笑いあっている。

「さ、前にお進み下さい!!」
「ありがとう、いつもながら素早くて助かります」

下女たちに労いの言葉をかけた上臈達は何事もなかったかのように前へ進み始めた。
鷹男ははっとして、先導に続く。

−私の後宮にこのような諍いがあったとは……私は一言も聞いていないぞ!!

「このあとは、弓矢でしたかしら」
「あらイヤだ、落とし穴ですよ、お忘れですか?」
「風閂が仕掛けられているのは、承香殿へ入ってからですよね」
「水タライには気をつけないと。あれを被ると寒いですからねぇ。それにずぶ濡れでは歌会に出れませんもの」

彼女らはにこにこ微笑みあってとんでもない事を囁きあっている。
そして予告どおり、そこかしこに仕掛けがあった。

「おわっ」「ひっ!!」「ぎゃっ!!」「よっっっ!!」

重い装束を身にまといながら、右へ左へ、上へ下へと流れるように障害物を避けていく一同の動きはそれは見事だった。もしかしたら藤壺御殿の女房は教養ではなく運動能力で採用されるのかもしれない。
口を開けっ放しの鷹男は、何度も障害に激突しそうになり、その度に不覚にも女房達に腕を引かれて難を逃れた。

「瑠璃姫、今日はどうかなさいましたか? 動きがいつもより精細がございませんわ。このような嫌がらせごときに姫様が遅れをとるなんて」

−くっ。私の動きは姫に劣るのか……。

そもそも内裏で矢が飛んでくる状況に疑問を持つほうが先だろう。
だが、思考能力の麻痺しはじめた鷹男はそんな事には気がつかない。
そうしてやっと承香殿にたどりつくと、ずらりと並んだ女御達が、満面の笑みを浮かべてそこに座していた。

「随分、おいでになるのが遅うございましたね? もういらっしゃらないかと思いましたわ」
「渡殿に贈り物をお届けしておきましたが楽しんでいただけまして?」
「動くのがお好きな方ですもの、それは喜ばれました事でしょう」
「けれど本日は、動きが鈍かったそうではございませんの。さては遅れたのはお着替えをなさってきたんですの?」
「あら嫌だ、何か臭うと思ったら藤壺様でございましたか」

嫌がらせといった可愛い領域はすでに通り越している挨拶だった。
小萩が早く挨拶をしてくださいと、袖を引いて合図する。
しかし、鷹男にはこの状況でどう挨拶するのが正解なのかわからない。
ええい! 反撃すればいいのだな!!

「遅参申し訳ございません。 本日は、主上に頂いたこのご衣裳が汚れてはと思って、念には念を入れて参りましたのよ。だってわたくしだけに贈ってくださった袿ですもの。ぜひ皆様にお目にかけたくて」

笑いながらそう答えると、女御たちの表情が鬼面のように変化した。
小萩を横目にみやると、深々と首を縦に振りながら、身振りでもっと言ってやれと鷹男を促している。
この答えでいいのだと安心した鷹男は、調子に乗って更に口を開いた。

「昨夜も主上がいらして朝までお仕えしていたので、日が高くなるまで起きて来れませんでしたの。遅くなったのはそういう訳なんですわ。申し開きの言葉もございませんが、同じ女御として事情はご理解くださいませ」

自分で言っておいてなんだが、朝まで離さなかったなど、瑠璃以外にした事もなかった。
というか、他の女御は月に一度、召せばいいほうなのである。

「キィッッッーーーー!!」
「なんですってぇぇぇ!!!」
「(バキッッ!!)」

かつて、鷹男を見あげて瞳を輝かせていた深窓の姫君達は、今、別人のように恐ろい形相で、ある者は扇をへし折り、ある者は髪を掻いて振り乱し、またある者は手近にあった几帳を手で引きちぎっていた。
これこそ物の怪か、生霊か、と断言できる恐ろしさだった。

−じょ、承香殿、梅壺……、桐壺……。

その光景を正視できずに、鷹男は目を逸らした。
これまで彼女たちに対して申し訳ないという気持ちが心の何処かにあり、気乗りしないながらも、順番どおり夜のお召しを続けていた鷹男だった。
だが、この姿を見たあとでは、夜の薄暗い灯りの中で彼女たちと会うのはもう無理だと、心の底から思った。
後ろを顧みると、控えていた藤壺の女房達は、よくぞ言ってくださいました!!と感極まって涙を浮かべている。

実は普段の瑠璃ならば「そうなのよー、あたしってば粗忽者だから遅れちゃってごめんなさいねー。さ、はじめましょー」と、並みいる女御たちの嫌味をさらっと流して何事もなく事を進めていた場面だった。間違っても反撃はしなかったのである。
なぜなら鷹男の愛をがっちり得ている時点で、初めから瑠璃は勝者だったのだ。
だから、敗者がいくら束になってかかってこようと、瑠璃は相手にしなかった。
その微妙な均衡を、知らぬこととはいえ、鷹男が破った。
鷹男は自らの手で女御たちに引導を渡し、壮絶な戦いに終止符を打ってしまったのである。

「あたくし、気分が悪いので退席させていただきます!!」
「あたくしも何だか眩暈が……」
「わあああああっっっっ(ドタドタドタっ!!!)」

そんなわけで、運命の歌会は、呆然として泣き出した女御たちの退出で幕を閉じたのだった。

続く

鷹男(=外見は瑠璃)の体験記。多少、反省させておきました(笑)

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