月のない夜、突然思い立って僅かな伴をつれ、愛しい人の住む屋敷に忍んだ。
長わずらいの恋を実らせ、最愛の人と想いを遂げたのはもう三月も前。
以来、文は交わしているものの、私の身分で内裏を抜け出すことは相当の努力が必要で、まして時の人である瑠璃姫に忍んでゆくのは人目も憚ることと、思わぬ我慢を強いられていた。
ここ最近は、新年の行事であれやこれやと忙しくて、文を遣わす余裕すらなかった。
気持ちがささくれ立って、どうしようもなく瑠璃姫に会いたかった。
夜になって、姫は元気だろうかと、日頃、文遣いを頼んでいる蔵人に漏らすと、あの屋敷には懇ろになった女房がおりますので、今夜、尋ねて聞いて参りましょうと申した。
それを聞いて心がざわついた。
ならばその者に姫の元まで案内させよと命じた。
嫌がる蔵人をたきつけて殿上人に化け、粗末な牛車に身を預け、はやる衝動を抑えながら、三条まで忍んできた。
蔵人の情人だという者に、何度か顔をあわせたことのある瑠璃姫の腹心の女房殿を呼び出させる。
女房殿は、突然の訪問に驚きつつも、案内を承諾してくれた。
扇で顔を隠しながら暗く冷たい廊下を進むと、やがてひとつの部屋の前で女房殿が足を止めた。女房殿は、振り向いて頭を垂れる。
「どうか、ここで少しの間お待ちくださいませ。姫様をお起こしして、美しい袿なりを着せて差し上げたいので」
思えば誰かを召す事はあっても、忍ぶ逢瀬などは初めての事。
過日にみた小袖姿も愛しいと思うが、女性には女性なりのこだわりというものがあるのかもしれない。
女房殿の心遣いに肯いて、そこで待つ事にした。
「姫様、起きておられますか」
「小萩? こんな時間にどうしたの?」
部屋の中から、愛しい方の眠たげな声が聞こえてきた。
「おか……、いえ、鷹男様がおいででございます」
「鷹男? 鷹男が来ているの?!」
喜びを含んだその声に私は安堵する。
「廊下でお待ちですから、急いでこちらをお召しなさいませ」
頃合を見計らって部屋に入ると、薄紅色の鮮やかな袿を羽織る姫がこちらを見た。
その瞳が喜びにあふれているのを見て取れる。
ばさりと扇を閉じて、姫に顔を見せた。
「今宵は新月。あなたに恋する月読は、空から降りてこちらに参りましたよ」
姫は立ち上がって私に駆け寄ると、ひしと抱きついてきた。
「会いたかったよ、鷹男。会えて嬉しいよーー」
その純粋で飾らない愛情表現もまた愛しい。
姫のつややかな髪を撫でながら私たちは暫し抱き合っていた。
女房殿が部屋に灯りをともすと、私に向かって「夜明け前にお迎えに上がります」と申して出ていった。
「さあ、顔を見せて、私の姫。変わりはありませんか?」
瑠璃姫が私の胸に埋めていた顔をあげる。
姫は私の顔に手を伸ばし、そっと触れてきた。
「鷹男は少しやつれた? 忙しいの? どうして急に来たの?」
「我慢できなくなったからですよ。抜け出してきてしまいました……」
「1人で来たの?」
不安そうに姫の瞳が揺れる。
「心配してくれるのですね。ちゃんと伴をつれてきています。内裏には替え玉も置いてきましたし、詰めている女官にもよく言い含めてあります。心配しないでください」
「……鷹男が危険なのは嫌なんだけど、会えて嬉しい」
安堵の顔に戻って、えへへと、舌を出して屈託なく笑う姫。
先日会った時は、長い苦しみの果てか、ひどくやつれているように感じたそのお顔が、愛らしい笑顔に戻っている。
私の姫が戻ってきた、そう実感する。
私は姫を抱きしめる腕に力を込めた。
「鷹男、ちょっと痛いよ……」
「少し我慢して。今、こうしたい気分なんです」
そのまま姫を押し倒し、床に伏せる。
姫は逆らわすに私に抱かれたままでいた。
この体を抱きしめたかった。
1人寝の夜に、何度、この人との夜を思い出したことか。
姫に会いたくて、この体を抱きしめたくて、もう私は限界だった。
でも、やっと会えた恋人に無体な真似はしたくない。
必死に、私の中にある野蛮な衝動を押さえ込もうと努力していた。
姫はそんな私の邪まな思いを気付きもせず、優しくトントンと私の背中を叩いている。
まるで赤子になったような気分になる。
女性は皆、母のようになると言うけれど、姫もそういう気持ちなのだろうか?
けれど不思議と気分が落ち着いてくる。
「口付けていいですか?」
おそるおそる聞いてみると、姫のお顔がかあっと桜色に染まった。
「そ、そういう事って、こういう場面で、普通、聞く?」
「では、いいのですね?」
こくりと小さく頷いた姫。
先日の大胆な姫とは違う可憐さを見せられて、努力の甲斐なく、すぐに頭に血が昇った。
奪うように深く口付ける。
やがて、唇だけでは満足できなくなり、両手を床に縫いとめて姫の体にのしかかり、顔じゅうに口付けを与えた。
私は急速に、この姫にのめりこんでいった。
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「鷹男、おきて! 鷹男ってば、起きてよ!」
愛しい人の怒ったような声を聞きながら、私は目を覚ました。
暗い薄明かりの中で、腕の中に私の姫がいることに気付く。
私はいつのまにか瑠璃姫を抱きこんで眠っていたらしい。
力を緩めると、瑠璃姫が私からぱっと身を引き離し、袿を急いで羽織って几帳の影に隠れる。
その初々しい行動に思わず笑みが漏れる。
「鷹男、早く支度して! もう朝なのよ。外で小萩が控えてるから、早く!」
部屋の外からは遠慮がちな物音が聞こえてくる。
秘密の逢瀬のはずが、こんな時間まで寝入ってしまうとは、蔵人達もさぞかしあきれただろう。
私は言われたとおり、あちこちの衣を掻き分けて支度をしていく。
「先日とは逆ですね。今度は私が寝入ってしまいましたよ」
「そんなことはいいから早く着替えてよ!」
姫は、手伝っているつもりなのだろう、このあいだもやったように、私の烏帽子や扇を着替えている体に投げつけてくる。
もう少し色気のある逢瀬がしたいのだが、やはりそれをこの方に望むのは無理というものなんだろうか?
どうにか支度をおえると、姫に向き直って、両手を広げてみせた。
姫がおずおずと私のほうへ近寄ってきて、胸の中に納まる。
こういう時の瑠璃姫はとたんに初心な少女に戻ってしまう。
その格差に、一体どれが本当のこの人なのかわからなくて、私はいつも翻弄されっぱなしだ。
「次に会えるのは、またいつかわかりません」
「うん……」
「かならず、時間をみつけて会いに来ますから」
「うん……」
本当につらいのは、私ではなく、瑠璃姫のほうだ。
ひっそりと、静かにこの屋敷で過ごす日々は、さぞや退屈だろう。
それでも私のために、この方は、その道を選んでくれた。
安心させるように、髪を撫でながら、耳元で、大好きですよと、囁いた。
「あなたを私の元へ迎えられるよう努力します。だからそれまで……」
私の言葉が姫の愛らしい指で遮られる。
「鷹男が負担に感じることじゃないでしょ? 二人で決めたことなんだから」
くったくなく笑う瑠璃姫。
あなたはいつもそうだ。
そうして私の負担を簡単に取り去ってしまう。
守っているつもりでも、守られているのは私のほう。
おそらく、一生かなわない。
「せめて新月のたびに来れるといいんだけどね。この月読さんは仕事熱心だから。だから、無理して来なくていいけど、鷹男が我慢できなくなったら、やせ我慢しないでまた来てね?」
来て欲しいけど、来なくてもいいと、精一杯の我侭をいう瑠璃姫。
こんな可愛らしいことをいう方のもとには、どうにかして会いに来たいという気持ちになる。
けれど、それは本当に難しいことなのだ。
「すいません……、誠意のない恋人で」
「いいのよ。あたしも、我慢できなくなったら会いにいくから」
「内裏にですか?」
内裏に忍び込むなどと不可能なことをこの人はいう。
何をやらかすつもりなのか、気が気じゃない私は、途端に渋い顔になった。
「馬鹿ね? 深窓の瑠璃姫が、実は一体何度、内裏にあがったことがあると思っているの?」
言われて気付いた。
それが一番確実で、長くともにいられる方法。
なぜもっと早く気付かなかったのだろう。
母上でも藤宮でも、使えるものはこの際、何でも使え、だ。
悪戯っ子のような微笑を見せる瑠璃姫に、気をつけてきてくださいねと、掠めるような口付けを与えて、私はいよいよ妻戸を開けた。
外には、瑠璃姫の女房殿と、蔵人が控えていて、ほっとした顔で私を見上げていた。
庭の向こうに白々とした空が見え初めている。
「急ぎませんと。内裏につく前に夜が明けてしまいそうです」
蔵人の言葉に肯づき、私は、後ろ髪を引かれる思いで、早足に車寄せに急いだ。
腕の中に残っていた恋人のぬくもりが段々と消えていく。
あの人を私だけのものにする日までに、何度、こんな忍ぶ夜を越えればいいのか。
確かに幸福であるはずなのに、どこか寂しい逢瀬。
いや、それすらも、あの姫にかかっては楽しい秘め事になるのかもしれない。
揺れる牛車の中で目を閉じ、恋人の顔を瞼に浮かべながら、せめて夢の中で会おうと、浅い眠りにつくのだった。
完
ああ、いろいろとごめんなさいです〜(><)
鷹男がドリーマーだし、ただいちゃついているだけの話になってしまいました。
本編を読んでないと、やっぱり意味不明かもしれません……。 ちなみに、ブレイクダウン中の話はどこにも隠れていません(笑)
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