昔の電気の街から、アニメやメイド喫茶などオタク文化の聖地へと様変わりした秋葉原。 最近は訪れることはめっきり少なくなったが、パソコンを自作していた頃は良く通った街である。 この秋葉原の南側に、神田川に架かる万世橋がある。
万世橋は明治時代の私鉄・甲武鉄道の万世橋駅であり、かつ旧交通博物館の跡地でもある。 また万世橋の少し上流には三十六見附の一つである筋違橋門があったが、この旧交通博物館跡から小石川門を目指す。
昔の甲武鉄道の万世橋駅で、旧交通博物館の跡地は、オフィスビルと昔の雰囲気を残す「mAAch ecute 神田万世橋」というお洒落な商業施設に生まれ変わった。
浅草橋から続いた柳原土手の大半は崩されてしまったが、中央線の神田から万世橋にかけての高架の一部に柳原土手が利用されて残っている。
「mAAch ecute 神田万世橋」に沿って御茶ノ水方向に歩くと、歩道上に寂しく筋違見附跡を示す案内板が立っている。
昔はレンガ塀側に立っていたと思うが、再開発で歩道側に移されたようである。
左のオレンジ色の電車は中央線。 上の鉄橋に各駅停車の総武線が走りクロスしている。 また鉄橋の下には、美しいアーチを描く聖橋が見えている。
昌平橋を渡り、神田川沿いに外堀通りを歩き湯島聖堂を目指す。 湯島聖堂の手前を神田明神の方に右に曲がって登る坂が昌平坂で、坂の手前に小さく石柱が立つ。
5代将軍・吉綱により建てられた、日本の学校教育発祥の地。 孔子を祀る孔子廟で、幕府は儒教の学問所を設け、昌平坂学問所と呼ばれていた。
この孔子像は世界で一番高いもので、台湾から寄贈されたものである。
入徳門をくぐって大成殿へ。 この入徳門は宝永元年(1704年)に建造され、湯島聖堂内で唯一の木造建築である。
孔子が祀られている大成殿。 なかなか荘厳な雰囲気を持っている。 土日・祝祭日には公開されるが、あいにく訪れたのは平日であった。
この大成殿は関東大震災で焼失し、現在の建物は昭和10年に再建されたもの。
左は大成殿の屋根の両端に鎮座している「鬼犾頭(きぎんとう)」と呼ばれるシャチホコである。 頭から水を噴き出し、火災から建物を守っている。
右の写真は、同じく大成殿の屋根の中ほどにある「鬼龍子(きりゅうし)」という聖獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れると言われているそうだ。 それにしても迫力ある顔している。
JR御茶ノ水駅前の御茶ノ水橋から水道橋方面を眺める。 深い谷間を神田川は流れているが、決して川の浸食によりできた谷ではない。
江戸城防衛の為、本郷台地の一角にあった神田山を掘り下げて作った人工の川である。 この掘削でで出た土砂で日比谷あたりの入り江を埋め立てた。
この工事を担当したのが仙台藩の伊達正宗だったので、この近辺は仙台掘とも呼ばれている。
順天堂病院の前を神田川に沿って水道橋方面へ御茶ノ水坂を下る。 白山通りとの交差点の手前に、「神田上水懸樋跡」碑が建っている。
江戸時代に木製の樋を神田川の対岸に渡して日本橋方面に給水していた。 これが水道橋という名の由来でもある。
江戸城の外堀工事が始まると、築いた堤防が次々と崩れる事故が多発したそうである。 そこでこの神社で祈祷したら事故は収まり、工事は完成したと言い伝えられてる。
またこの一帯には幕末に講武所が設置され、剣術や槍術、砲術などを教えていたようである。
神田川と日本橋川の分岐点のすぐ西側にある、総武線と中央線のガードのあたりが飯田橋門があった。 しかし残念ながら現在は全くその形跡はない。
枡形はこのガードのあたりにあった。
ガード下右側の石垣は飯田橋の駅に向けて続くが、外堀の土塁跡である。 この土塁の上を中央線や総武線は走っていることになる。
神田川と別れる日本橋川に架かる総武線の鉄橋は、NHKの「ブラタモリ」で紹介された。
1904年に架けられたドイツ製のトラス橋で、「小石川橋通り架道橋」という名がある。 この上を電車で通ることは多いが、1904年から現役を続けているとは凄い!