兄弟〜あにおとうと〜

序 章 :それぞれの想い1 唯恵

私には振り分け髪の頃に将来を誓った筒井筒の姫君がいた。
姫に相応しい身分が欲しくて、愚かにも政争に巻き込まれた。
結果、実の父に出自を否定され、望まぬ出家を強要され、
病に倒れた母の死を見取る事も出来なかった。
十一で放り込まれた仏の道は辛く厳しく、
人知れず涙をこぼした事も一度ではなかった。
何の憂いもなく共に野原で遊んだ愛しい姫を思い出して、幾度も後悔した。
自分の愚かさゆえに失った日々が恋しかった。

やがて、全てを諦めた私は、あの日々を振り切るために仏の道に没頭し始め、十四にして、導師・慈源大師の供で内裏に上がれるまでに位を進めていた。
父とは親子の名乗りはできなかったが、御簾越しに声を聞く事を許された。
何の優しい言葉もいただけず、居ないものとして私は扱われた。
それでも。
恨み憎みながらも、我が父と慕う心は止められなかった。


父には、誰からも認められた皇子がいた。
この兄を守る為に私は捨てられ、俗世の道を絶たれた。
今ならば父がそうしなければなからなかった理由もわかる。
けれども、それは理屈ではなかった。

たった一人の恋しい姫以外、何一つ望んでいなかった。
それなのに、私は全てを失った。
対して、我が兄は、すべてを許された存在だった。
自分のために犠牲のなった義弟の事など知りもせず、
東宮という晴れがましい地位を持ち、我が物顔に内裏を闊歩していた。
庭先で屈託のない笑顔を振りまき、走り回る豪胆な兄を、
墨染めの衣の私は、平伏して横目でちらりと見るしか許されなかった。
兄は、いつもわたしの横を、するりと笑いながら通り過ぎていった。
兄弟でありながら、私と兄は、遠くへだたった存在だった。

知らない事は兄の咎ではない。
それでも、父に守られている兄が羨ましかった。
父よりも、私を陥れた者達よりも、誰よりも、兄が憎かった−−。

仏の道へ進んで五年余りが過ぎようとも、私の憎しみは止めようがなかった。
この憎しみが何処へと流れていくのか、私にはわからなかった。
いずれ、あの兄に手をかけてしまいそうな自分が恐ろしかった。

−−あの日、兄が私に手を差し伸べる日がやって来るまでは。



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