兄弟〜あにおとうと〜

序 章 :それぞれの想い2 東宮

私はながい間、帝のただ一人の皇子であった。
しかし、政治的には軽んじられる存在でしかなかった。

父が帝位についた時、東宮には祖父の末の皇子−つまり、父にとっては歳の離れた義弟にあたる方が立太子された。いずれ、この方が帝位につき、その時に父の皇子の誰かが東宮となると目されていた。
だから、父の後宮には、早くも次の東宮の座を望む一族の期待を背負った姫君が幾人も入内なさったけれど、皮肉な事に最初に皇子を得たのは、血筋は良いが強い後ろ盾を持たない我が母宮だった。

後ろ盾のない皇子など居ないも同然。
いずれ別の皇子が生まれ、その方が立太子する。
そう目されていたからこそ、私は一番目の皇子ではあっても、軽んじられる存在でしかなかった。
時折、顔を見せにくる大人たちは一様に私の利発さを褒め称えるけれど、言葉の裏で、私は疎まれ軽んじられているのをどこかで判っていた気がする。
事情のわからぬ子供ではあっても、何か感じるものはあった。
私はいつも独り、寂しく庭で遊んでいた。

父には立場があり、あからさまに私を可愛がる事は出来なかった。
私という存在を盾に、母に皇后の座を与えるのが精一杯だったと聞く。
気丈な母はいつも笑っていたけれど、時折、肩を震わせ泣いていた。
母のために、強くありたい。
そう思って自慢の息子であるよう努力してきた。

私に、東宮というお鉢がまわってきたのは、本当に偶然だった。
先の東宮であられた方が健康上の理由でその座を辞退される事となった。
順番的には、父のただ一人の皇子である私しか居ない。
けれども、後ろ盾のない皇子が帝位についても国は乱れるばかり。
叔父の何人かが担ぎ出されて激しい争いがあったと聞く。

結局、私が東宮に立ったのは、後ろ盾の弱い子供など簡単に廃嫡できるという思惑があっだったからだ。
名だたる貴族は私に妃を差し出すことを厭い、晴れがましい添い伏しの姫を探すのも一苦労だったという。
私は相変わらず、どうでもいい存在だった。

それでも私は、十一にして、政治の矢面にたつこととなった。
誰にも、弱音は吐けなかった。
いつも虚勢をはって、利発で豪胆な皇子を演じていた気がする。
私は、ますます、独りだった。

私が、今もこうして東宮としてあるのは、ある藤原一門が、私の後ろ盾になったからだ。この一族から父の後宮へ送られた女御が急な病いで罷られた直後、政敵一門の女御が、とうとう父の御子を身ごもった。
皇子であれば、たちまち私は廃嫡を強要され、政治の流れは一気に第二皇子を擁する一門へと向かうであろう。
その流れを阻止すべく、母と、その一族は手を組んだ。
私と歳のつりあう姫君が東宮妃として入内し、私は大きな後ろ盾を得た。
ようやく、私の身は定まった。

人々の態度が変わった。
私は、私でしかないのに、誰もが、羨望と敬意ある目で私を見るようになった。
人の世の道理を、私は静かに受け入れた。
私は、たった独りで立つしかない事を、十四で悟った。

無事、立太子の儀式を済ませたとき、両親が見せた喜びの涙を思えば、
東宮になった事を後悔はしていない。
ただ、せめて、母に弟がいたらー。
何の駆け引きもなく遊び、喧嘩をし、そして笑いあえる弟がいたとしたら。
この孤高の地位を分かち合う存在が一人でもいたら−。
そんな夢を見る事はあったけれども。

だから、あの日、母に聞いた話が忘れられなかった。
「もしかしたら、あなたにはもう一人、兄弟がいるかもしれないのですよ」
その言葉を、忘れることができなかった。



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