兄弟〜あにおとうと〜

第一章 :出会い 1

その若い学僧は、いつから御所に出入りしていたのだろうか?
父帝が導師として仰いでいた阿闍梨の従者として、随分前から見かけていたような気もする。しかし、父帝から、東宮の身で仏の道に精通するのはまだ早いと、阿闍梨が殿上する際には退出を命じられていたせいか、これまで真近で見かける機会もなかった。
だから、その若い僧侶には、長い間、目を留める事はなかった。

17歳の秋。
父が病を得て、加持祈祷のために高野の阿闍梨が呼ばれた日の事だった。
最近とみに病がちな父帝を心配して、殿上の間には多くの上達目が打ち揃って御座所を窺っていた。
私は、この場に来れない母宮にかわって、父の休息を守るように御簾内に控えていた。
やがて、阿闍梨が幾人かの僧都を従えて、父帝の休む御簾の中へ入ってきた。

「きたか……」

父帝が目をあけ、言葉を口にした。

「わざわざ足労をかけた。なに、皆が大げさすぎて困る。」

言葉とは反対に、その声には力がなかった。

「病は気からと申します。お心を強く持たれる事は大変心強い事でございます。これから、主上の病の平癒を願って祈祷申し上げますゆえ」

阿闍梨が静かにそう申し上げると、弟子たちが御帳台をぐるりと取り囲み、何やら祈祷の準備を始めた。やがてそれぞれの位置に座し、厳かに読経がはじまる。
私は、その様子を邪魔にならぬように、近習らとともに、端近に控えて見守っていた。

その中に、ひどく若い僧都の姿があった。

若いから目を引いたわけではない。
十五かそこらの少年僧は、他の誰よりも、そう、ひどく印象的だった。
そういえば、女官達が下世話に騒いでいたのを聞いた事がある。
僧侶に似合わぬその整った顔立ちと優雅な所作を持った少年僧がいると。
あれがその者なのだろう。
だが、私があの者に目を奪われたのは、皆が申すような造作の美しさではなかった。

何も重篤な病というわけではない。
しきたりとして僧侶が呼ばれ、祓いを受けているに過ぎないのだ。
誰もが厳かな雰囲気で読経を続けるなかで、その学僧の瞳は射るように鋭く、厳しい表情だった。何かを耐えるような、ひどく思いつめた瞳をしていた。
その目が、父を心配してとか、物の怪の存在を危惧して、といったふうではなく、なんと言ったら良いのか……、そう、ひどく愛憎のこもった目に見えた。

−−ひどく印象的だった。

「宗平親王さま、主上の元へおいでください」

その僧侶を見つめているうちに、いつのまにか読経が終わっていた。
控えていた蔵人に耳元で促され、我に返った。

私は立ち上がり、平伏する僧都どもの横をぬけ、父帝の枕元へ伺った。
どこからか、胸の痛む視線を感じたような気がした。
それが何なのかを考えている暇はなかった。


それが、唯恵という名の僧都との出会いだった。
まさか、あれが、私の弟だったなどと、その時の私は思いもしなかった。



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