兄弟〜あにおとうと〜

第一章 :出会い 4

その日、私は、父帝に密かな面会を申し出ていた。
父帝が先日の病から回復されたあと、父帝の公務のご負担を少しでも減らすため、私たちが共に過ごす時間は以前にもまして増えていた。
しかし、いつもまわりには、上達目や侍従達が控えていて、二人きりで密かな話をする機会はなかなかなかった。
そこで、あらたまって面会を求めたのだった。
先頃から探索させていた母の異母妹についての情報を得て、父に確かめたい事があった。

「あらたまって大仰な人払いとは珍しい事だな」

傍に寄る事を許可していただいたので、私は父帝にいざりよった。
あまり顔色が良いとは言えない父帝に、負担をかけるような事をしたくはなかった。
しかし、私は、どうしても聞かねばならなかった。

「佐子姫という方のことです」

単刀直入に切り出すと、普段、あまり感情を面に出さない父の顔が、一瞬だけ、強張ったような気がした。

「私のもう一人の弟、宗唯親王は、今、何処にいるのですか」

父の表情を、一瞬たりとも逃さぬように凝視した。
わずかにしかめられた眉と、一瞬だけ泳いだ目。
たったそれだけの事だが、父は、この一件にかかわっていると、確信した。

「やはり、ご存知なのですね」

長い沈黙があった。
強い目線で私をしばらく見返していた父帝は、小さく首を振ってから言葉を発した。

「……知らんな」

その言葉に、かっとした。

「弟が吉野にいた事は既に知っています。5年前、何者かに連れ出されて行方が知れない事も。弟を連れ出したのは……父上なのでしょう?!」


私は、弟の消息について、確かな情報を掴んでいた。

貴族の女君が、まして赤子がいたかもしれぬというのなら、誰の手も借りずに生活を立てるなどとありえる話ではない。
誰かが、佐子姫を匿っていたとしか思えなかった。

十余年前、母宮は同じように考え、佐子姫失踪当時、乳母であった者や、側仕えの者、母君の縁者など、考えられる限りの方面へ探索の手を伸ばしたが、佐子姫の消息は容として知れなかったという。
しかし、あれからだいぶ長い時がたっている。
当時、口をつぐんでいた者たちの中から新たな情報が得られるかもしれない。
また、何も知らされてなかった者たちに、便りの一つも寄越しているかもしれない。
そう考えて、もう一度、同じ手段で消息を探らせた。

そして、意外にも佐子姫の所在は容易に知れた。


この話をするには、まず佐子姫の母であった女性について語らねばなるまい。
この方は、一時は東宮でもあった私の外祖父に仕えていた宮女で、若い時期に結婚したものの夫との折り合いが悪く離縁したのち、宮仕えをはじめたのだった。
やはり両親が赤子の頃に離縁していて、母親は裕福な中流貴族に後家として入ったそうで、連れ子の身で、義父の世話した結婚をやめた以上、実家に留まる事が出来なかったのだろう。
彼女は、祖父が東宮を辞退して内裏を辞した折に、祖父に付き従い、やがて寵を得て佐子姫を産んだという。祖父の寵愛を受けた後も、その美貌や幸運を鼻にかけることもなく父に仕え続け、身分をわきまえて北の方をよく立てた。その心栄えが周囲に大変可愛がられた人物であったという。

親子は、皇統に連なる姫を産んだことで勘気が解けた義父の家を頼みにしていた。
この母親が佐子姫に常々、分というものを教え諭していたのだろう。
母を早くに亡くした佐子姫を、祖父も、祖父の北の方も、異母姉であった母宮も、何くれとなく面倒をみたが、どこかで遠慮する部分があったのか、母親が亡くなったあとも、佐子姫は義祖父を頼りにしていた。
だから、前回、佐子姫の失踪にあたってはこの実家の縁者を中心に捜索がされていた。

一方で、この母親には、幼い頃に生き別れた父、つまり、佐子姫にとって見たこともない祖父君がいた。
一生を地方の受領として生きた男で、都には殆ど戻らず各地を転々としており、当時は、遠く坂東を拝領していた。念のため探索の手を坂東にも伸ばしたというが、予想通り、姫とおぼしき方の消息は知る事が出来なかった。

その縁薄い祖父が、佐子姫を匿っていた。
長きにわたり受領として蓄えた財力を頼みに、密かに吉野の地に庵を構え、そこで佐子姫はひっそりと男君を生んでいた。
男君の誕生から4年、5年がたち、ほとぼりが覚めた頃、官位を辞して吉野に隠居した祖父君は、縁薄かった孫娘と曾孫と中睦まじく老後を暮らしていたのだという。
日陰の身の幸薄い孫娘を不憫に思ったのかもしれぬし、受領の身分で思いがけずに得た身分高き曾孫を大切に育てたかったのかもしれない。
そのようにして、宗唯と、私と同じ字をひとつとって名づけられた赤子は、吉野の山里で、健やかに育てられた。消え入るように美しかったという佐子姫に良く似ていて、雛には似合わぬ美貌の少年だったという。
彼は尊い名を隠し、吉野と呼ばれていた。

しかし、これらの事実を探り当てた時、彼らはもうそこにはいなかった。


佐子姫は5年も昔に亡くなっていた。
吉野には、祖父君が建てたという佐子姫の墓標が確かにあり、後を追うように鬼籍に入った祖父君とともに、縁者によって手厚く葬られていた。

そして。
佐子姫が生んだという子供−私の弟は、母姫が亡くなられる少し前に、ふつりと吉野から姿を消し、行方知れずとなっていた。



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