兄弟〜あにおとうと〜

第一章 :出会い 5

その知らせを聞いた私は、私は深く溜め息をついた。
大切に育てられていたという子供が突然、姿を消す理由が一体どこにあるというのか。

5年前といえば、私自身が立太子を巡る政争に巻き込まれていた最中だった。
ろくな後見ももたない弟が、万一、この政争に巻き込まれていたならば、いいように利用されるしかなかっただろう。
有力な後ろ盾を持つ叔父達を尻目に、唯一の皇子という地位でのみ対抗していた私。
もう一人、父の血を引く皇子がいたとして、その者を後見する有力貴族がいたならば……。

「弟の失踪と前後して、佐子姫の消息を探る者があったといいます。
弟はその者らの手によって連れ去られたのでしょう」

しかし、現実には、弟は政治の表舞台に出てくる事はなく、どこかに連れ去られたまま、その存在を抹消されていた。
とすれば、弟を連れ去ったのは、私に対抗する勢力ではない。

「当時、屋敷にいた者が、弟は実の父に会いに行ったのだと、証言いたしました」

父は、黙して語らない。

「屋敷を探っていた者達の中に、父君が子飼いになさっている六位蔵人の一人と、特徴の似た者がおりました」

5年前、吉野を探っていたという怪しい者たちの存在。
そのまま政治の表舞台から消えた弟。
父の子飼いの者とよく似た特徴。
そして、私の突然の問いかけに、眉を潜めた父。
すべての符号は、父が、弟を知っているという事実に行きつく。
父が、弟の存在を探りあて、隠したという確信に変わっていく。

「もう一度、お尋ねいたします。父上は宗唯をご存知ですね?」

真実を教えて欲しかった。

「……知らぬ」

父帝は、強い意思を示した。
私は、小さく唇を噛み締める。
しかし、ここで引き下がる気はなかった。

「直ちに、皇子として認めてはと言うつもりはありません。
今はまだその時期ではないし、その者にも今の生活がありましょう。
ただ、兄として、弟がどうしているのかを知りたいのです。
もしも困難な状況にあるなら、少なからず手を差し伸べたいと思います」

あのまま吉野に捨て置く事もできたはずだ。
あの頃の事情を考えれば、父のした事を否定する事はできないが、
私のために、不安要素を容赦なく排除したであろう父に感謝する事は出来なかった。
彼が私の犠牲になったというのなら、私は彼を救わなければならない。

「なにを馬鹿な事を申すかと思えば」

父帝は私の決意に、乾いた笑いで応えた。

「政局もまだ不安な折に、そなたは人の事にかずらってられる立場なのか?
国を安らかに統べる事こそ、そなたの今、為すべき事ではないのか。」

確固たる皇子を持たずに、後見が右を向けば右を見るしかない、寄る辺なき身である私に、思いあがるなと、父は諭した。

「ですが、私の弟の事です。父上は、私に弟の事すら知らぬ愚か者になれとおっしゃるのですか? それで私に何を識れと?! どうやって国を統べてゆけとおっしゃるのか?」

私は、引き下がる気は更々なかった。
たとえ勘気を被っても、弟を探し出すつもりでいた。

「……」

私たちは長いこと、互いを見やって、無言で対峙していた。
思えば、父とこのように意見をぶつけあったのは、初めてだったと思う。
やがて。

「5年も前になるか……。あれに会った。」

私の本気を感じ取った父帝は、とうとう、重い口を開いた。

「自分の身分も知らず、澄んだ瞳をした少年だった。」

どこか懐かしく遠くを見るように、当時の事を口にした。

「恋しい姫がいると言った。あの姫に相応しい身分が欲しいと。
それ以外は望んでいないのだと、11歳の少年が、少し照れて言ったのだ」

11歳といえば、私が東宮なった年だった。
誰にも隙を見せず、敵を作らず、笑顔の下に本音を隠しながら、利発な子供を装って日々を過ごした我が少年時代と、思わず比べてしまった。
話に聞いたとおり、大切に育まれてきた少年だったのだろう。

「あれは、そなたとは違った。政争に巻き込むべきではないと思った。
宮中に置くにはあまりに純粋だった。
まして、死の病床にあるそなたを見捨てて、皇子であると認めるわけにもいかなかった」

「父上、それは?!」

「あれは、利用されたのだ。先の左大臣・大海入道に」

では、弟を連れ出したのは、父上ではなかったという事になる。
あの、権力欲の塊であった男に利用されたのか。

「……弟は、今?」

「私はあれを認めなかった。そのまま里へ戻され、元通り母と暮らせると思ったのだが、大海入道はあれを手元に置いて、次の機会を狙い続けていた。
だから、屋敷を抜けさせ、無理矢理、落飾させるしかなかった」

出家した皇子が還俗して帝位につく事は、よほどの事態でないとありえない。
左大臣にとって利用価値のない存在になった事で、弟はあの男の手から逃れられたとも言える。

「どこに、いるのです?!」

「そなたは知る必要はない。」

「父上!」

父は苛立ちを抑えるかのように、扇を握りつぶした。

「知って何とする? あれが皇子であったと世に知らしめるか?
仏の世界に進んだ者に、それが何になる?」

「けれど、それが彼の望む道だというのですか?!
今ならば彼の意思をくんでやる事が出来るではありませんか。
誰も皇子と知らぬのであれば、せめてどこぞに養子に出す事ぐらいはできる。
彼の望む未来を与える事が出来るではありませんか!!」

「そんな事は、おまえの感傷でしかない!!」

父帝は険しい顔で、私を叱責した。

「望むと望まぬとにかかわらず、おまえが東宮になるしかなかったように。
正良をどうあっても東宮にはできぬように。
あれは仏門に入る以外に生きる道はなかった。
今更、何をどう詫びたところで、あれの未来を潰した事実は変えれぬ!」

そこには、断腸の思いで、息子を切り捨てた帝の姿があった。
ご自分の判断を悔いる気持ちはないと、表情が語っていた。

「……父上のお考えはよくわかりました」

私は頭を下げ、怒りをこらえて【帝】に従う以外になかった。

「弟の事、教えてくださり、感謝いたします」

「うむ……」

辞去の挨拶をして、立ち上がった。
そして、去り際に、宣言した。

「自分で宗唯の行方を捜します。
弟が今、幸せなのかどうか、自分の目で確かめます。
その先をどうするかは……、私の判断です。
父君に一切ご迷惑はおかけいたしません!」

ただただ父に感謝して過ごしてきた私の、初めての反抗だった。



梨壺までの長い廊下を歩きながら、弟を探す手段を考えていた。

5年前に仏門に入った、16歳になる美貌の少年僧を探す必要があった。
父帝の事だ、ああは言いつつも、信頼ある寺院に預けたに違いない。
時間はかかっても、確実に行きつく事が出来ると思った。

そして。
ふと、そんな少年僧の姿が、一人、思い浮かんだ。

ひと月ほど前の、あの日。
父の病のみぎりに、父帝のおわす御簾を射るようにみつめていた若い僧侶がいた。
何ともいえない感情を瞳に浮かべていた、美しい少年僧。
私の弟だという宗唯親王と歳の頃も同じ。
あの凍るように澄みわたった瞳を、思い出した。
ひどく印象的な、横顔を……、思い出した。

私は、梨壺に戻り、すぐさま子飼いの蔵人を呼んだ。

「調べよ。慈源阿闍梨に従事する、唯恵という学僧の過去を。
いつ、入山したのか、何処の出身なのか、かの者の出自を。
本人には気取られぬように。可能な限りのすべてを」

「はっ−−」

答えは、聞かなくてもわかるような気がした。



上へ 戻る 次へ