兄弟〜あにおとうと〜

第三章 :転機 2

この僧院での生活にも転機が訪れようとしていた。

この寺には兄の顔を見知る者も数多くいて、過日、忍びでやってきた東宮の事がひそやかな噂になっていた。
不自然でない対面を配慮されていたというのに、その尊き方と庭にまで聞こえるような言い争いをしてしまったのを、運悪く小坊主がに耳に挟んだらしい。
私が、東宮の縁の者ではないかと、まことしやかな噂が流れていた。

僧侶という身分の中には、日陰者も多い。
現に、修行僧の中には、どこそこの大納言の落とし胤や、宮家筋の子息もいた。
帝と繋がりのあるこの寺に、かの君の縁がいたとしても何も不思議はなかった。
彼と口争いをしていた私をいぶかしむ者がいたのは当然の事だった。
そして、頻繁に送られてくるようになった高級な御料紙や、優雅すぎる使者の姿が、それを確信へと導いていった。
そのあたりは兄も世間知らずだったと言わざるをえなかったが、ひょっとしたら彼は確信犯だったのかもしれない。

口にするのも憚られる方に縁があると知れただけで、周りの目が変わってゆくのを感じる。
兄弟子達が急に優しくなった。
私がやるべき仕事を、奪うように攫ってゆく者もいた。
親しい口を聞いていた者は、以前より疎遠になった気がする。
遠巻きに私を窺うような視線も感じるようになった。
誰も彼もが私を見ているような気がして、とても居心地が悪かった。
人に注目される事に慣れていない私には、これはなかなか煩わしい事だった。

態度の変わった彼らを責めてもどうにもならないと思う。
後ろ盾が重要なのはどの世界でも同じ事だ。
いや、むしろ、この世界だからこそ、後ろ盾や支持者の存在が重要になる。
女犯(にょぼん)、肉食(にくじき)を繰り返す破戒僧が、財ある実家を持つというだけで、僧院を構える事も珍しくない。
何も持たぬものは、剛力や、学問の力を借りて位を進めるしかないが、何事にも抜け道が存在する。辛い修行の近道があるのならば、それを掴もうとする者がいるのは、人の道理。
天子にならんとする方繋がりがあり、門主の愛弟子と言われる私に、おもねる者が出るのも致し方のない事。

我が師・慈源阿闍梨の周りは、常にそうした輩が付きまとっていた。
師は、それを穏やかにかわし、私利私欲なく師に付き従う者達を明確に選り分ける目をお持ちだ。
対して、自身におもねる者達で周りを固め、お山の大将に成り果てたと見える導師もいないわけではない。ああはなりたくないと、常々思ってきた。


兄が投じた波紋によって、私は山門の権力闘争の中に放り込まれてしまった。
けれど、兄を責める気はなかった。
いずれおこるであろう事が、少し早くやって来たにすぎないと、冷静に思えた。
私も、この道を進んでゆけば、弟子をとり、人に教えを諭す身になる。
私があの人の縁であっても、そうでなくても、いつかはこうして人に祭り上げられ、利用され、おもねる者達に取り囲まれる事となっただろう。
いつまでも静かに祈ってられた時代は終わろうとしているのだと、悟った。

けれど。
こうなってみて、私には、ここで生き抜いていく覚悟も気概もないのだと気付いた。
ここに来てからの私は、我が身の事で精一杯だった。
自身の不幸にばかり目をやってきた。
周りの誰もみずに、交わらず、省みず、ひたすらに求道し続けてきた。
ただ、苦しみから逃げ続けていた日々だったのだ。
私とって、人に囲まれる事も人に道を諭す事も、煩わしい事でしかなく、 望むことといえば、ひっそりとした僧院で静かに日々を送る事ぐらいで、この道を極める事など考えた事もなかった。

今更ながら気付いた。
私には、僧侶として、人として、何か足りない。
学問は出来ても、人として欠けている部分がある。
阿闍梨がそんな私を救い上げてくださったのは、私があの父の子だからに過ぎない。
こんな未熟者が、誰よりも位を早めている事を、年かさの同輩たちはさぞ歯がゆく思っていただろう。
だとすれば、兄弟子達の非難も、少しは的を得ていたという事になる。

あらゆる事が明快になってきて、私は、ひどく混乱していた。

私は一体何をしてきたのだろう。
何を見てきたのだろう。
この五年に自身が行ってきたひどく子供っぽい行為が恥ずかしくてならない。
さりとて、すべてを懺悔して、今こそ、仏の道と向かい合わなければならないこの時になっても、私には、覚悟が、定まらなかった。

兄へのわだかまりと、あの少女への想い。
兄が示唆した未来への希望と、師に教えられてきたこの道への想い。

日々惑い続ける私は、一向に修行に身が入らない。
いくら念仏を唱えても心が入ってゆかない。
そのようにして、この年の冬は過ぎていった。



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