信濃追分から写真を撮りながら走ってきたが、写真を撮る度に自転車を降りるのは結構面倒なことに気付いた。 歩きながら気軽に写真を撮る方が良かったと思いつつ、やはり自転車での移動は捨てがたい。 しかし思いのほか時間を要してしまい、懐古園は入口の三の門だけを見て終わりとして、第2の目的地である上田宿を目指すため街道に戻って移動開始である。
(地図は別ウインドウで開きます)
日 付 | 区 間 | 手段 | 概算距離 | 地 図 | 備 考 |
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2014/5/14 | 追分宿~小諸宿 | ![]() |
約16.5Km | Map1-1 | 追分宿~小諸宿 |
小諸宿~上田宿 | ![]() |
約18.8Km | Map1-2 | 小諸宿~田中宿~海野宿~上田宿 | |
上田宿~矢代宿 | ![]() |
約21.9Km | Map1-3 | 上田宿~坂木宿~上・下戸倉宿~矢代宿 | |
2014/5/15 | 矢代宿~善光寺宿 | ![]() |
約18.5Km | Map2-1 | 矢代宿~丹波島宿~善光寺宿 |
善光寺宿~野尻宿 | ![]() |
約26.2Km | Map2-2 | 善光寺宿~新町宿~牟礼宿~古間宿~柏原宿~野尻宿 | |
2014/5/16 | 野尻宿~二本木宿 | ![]() |
約21.1Km | Map3-1 | 野尻宿~関川宿~田切宿~二本木宿 |
二本木宿~高田宿 | ![]() |
約26.2Km | Map3-2 | 二本木宿~新井宿~高田宿 | |
高田宿~直江津 | ![]() |
約7.8Km | 日本海を目指して直江津まで走る。 |
小諸宿本陣跡 懐古園に寄り道した後、街道に戻って次の宿場である田中宿を目指す。
布引観音道標。 「牛に引かれて善光寺参り」という諺で有名な布引観音への道標。 布引観音は左へ曲がり、北国街道は少し細い道を直進する。
小屋根が何層にも積みあがった古民家。 「たかこの布遊び」という店である。
牧家一里塚跡。 説明板によると江戸から四十三番目、つまり四十三里だそうだ。
立派な門である。 これも長屋門と呼ぶのだろうか?
田中宿は江戸時代の千曲川氾濫や大火により、昔の面影を失ったとのこと。 現在の街は電柱を地下に埋設するなどして整備しているが残念である。
高木屋という店の前に「脇本陣跡」の看板が下がっている。 またこの先の路地を入ると、民家の庭先に本陣跡の門と「明治天皇田中小休所跡」が残る。
馬に乗った勝軍地蔵 勝軍地蔵とは武具・甲冑をまとった地蔵菩薩で、戦いに勝ち飢饉なども免れるそうで、鎌倉時代以降に武家に信仰された。
田中宿から1.5Kmほどで海野宿である。 海野宿入口には白鳥神社があり、近くの千曲川の河原で木曽義仲が挙兵したそうだ。
うだつ、海野格子、出桁造りなど、宿場の雰囲気を良く残す街並みが続く。
長屋門の前に海野宿本陣跡の碑が立つ。
「馬の塩舐め石」(左)と「馬つなぎ石」(右)。 佐渡金山の金の輸送ルートでもあったので、馬は大事に扱われていたのだろう。
神川小学校の校門近くに、加州(加賀)の飛脚中により文政元年(1818年)に建立された「馬頭観世音」が立つ。
千曲川の上を長野新幹線の上田ハープ橋が架かる。
信州大繊維学部の講堂 繊維学部の前身である上田蚕糸専門学校の講堂で、昭和4年に建てられた。 正門前は枡形だったようである。
中央2丁目交差点手前に上田宿本陣問屋跡の碑が立つのみで、遺構は残っていない。
上田高校と上田城に寄り道する。 県立上田高校は上田藩主の館跡に建ち、その正門は上田藩主居館の表御門であり、周囲には堀も残る。
上田城本丸南櫓と東虎口櫓門 甲斐武田氏旧臣である真田昌幸により築城された平城。 昌幸が二度にわたり徳川の攻撃を退けた上田合戦で有名。
真田神社と真田井戸 井戸には抜け穴があり、北にある砦に繋がっていたという。