北国街道その7 二本木宿から高田宿へ





いよいよ最後の行程に入った。 高田まで残り26Kmほどで、天候も回復して青空が広がり始めている。 その代りに風が更に強くなる! 自転車を停めて写真を撮っている間に、風で自転車が倒されること数回。 向かい風ではあるが、ゴールが見えたのでペダルをこぐ足に力が入る。



(地図は別ウインドウで開きます)



ライン

二本木駅から新井宿へ

二本木駅前  駅前広場から坂を下ると街道である。 駅前といっても何もない。

二本木駅前

小出雲坂を下る  坂を下ると高田平野である。 昔は坂の途中から高田平野や日本海が見えたそうだが、今はその景色は望めない。

小出雲坂

賀茂神社の湧き水  冷たい水が湧いていたので喉を潤す。

賀茂神社の湧き水

飯山道道標  「左飯山道 右善光寺道」とある。真ん中で折れたのか接いである。

飯山道道標

上町延命地蔵  溜池から人の声が聞こえるので、池を浚ったら二体の地蔵が見つかり供養したという話が伝わる。

上町延命地蔵

新井宿



新井宿の入口に宿場図が掲げられ、本陣跡や名主宅跡などの場所が示されていた。 しかし残念ながら街中にはそれらしき跡は残されていないようである。

新井宿本陣跡  宿場図によると、右が本陣跡で、左に高札場があったようだ。

新井宿

木造洋風建築  手入れすればレトロで洒落た家になると思う。

洋風建築

君の井酒造  杉玉がぶら下がる。

君の井酒造

高田宿に向けて

康源寺  元禄8年(1695)に建てられた山門は、鐘楼も兼ねている。

康源寺

根切松碑と明治天皇小休所跡  明治天皇巡幸時に、街道に張り出していた樹齢500年の松の根を切ったそうだ。上は開通前の北陸新幹線。

根切松碑

矢代川  この川に架かる瀬渡橋は、北国街道一の大きな橋だった。

矢代川

弘法の清水跡  弘法大師が錫杖で穴を掘ったら清水が湧き出たそうだ。

根切松碑

高田に到着

伊勢町口番所跡碑  高田城下への南の入口で、題目石と伊勢町口番所跡の石碑が立つ。また伊勢町一里塚の跡でもある。

伊勢町口番所跡碑

雁木が現れる  雁木の続く通りに入ると、街の表情が一変する。

雁木の街

雁木の下  軒先を出して歩道にしているが、私有地を提供しているそうだ。

雁木の下

雁木の下

屋根には雪下し用の梯子が架かる。

雪降し用の梯子

高橋飴店  高田藩御用達だったようで、十返舎一九も訪れたそうだ。

高橋飴店


下の画像クリックで拡大写真が表示されます。

高田市内 高田市内 高田市内 高田市内
高田市内 高田市内 高田市内 高田市内


旧師団長官舎  街道から外れ、旧陸軍第十三師団の長官官舎を眺める。

旧師団長官舎

町奉行所跡  旧師団長官舎の少し先に立っていた。

町奉行所跡

極楽橋 高田城本丸に通じる橋を渡り、三重櫓へ向かう。

極楽橋

高田城三重櫓  高田城はわずか4か月で築城したので石垣が無い。 また天守閣もなく、現在立つ三重櫓は平成5年に復元されたもの。

高田城3重櫓

高田駅  何でこんな形しているのか? 高灯籠でも模したのか、単に雪が積もらないようにしただけなのか?

高田駅

こんな所で!  懐かしい湘南電車が走ってきた。 まだ現役で活躍していた。

湘南電車




ついに目的地である北国街道終点に到着。 ここで左に加賀街道、右に奥州街道へと別れる。 加賀街道は北陸道とも呼ばれているが、新潟に向かう奥州道は「北国街道」とも呼ばれるようで紛らわしい。

追分  右折すると奥州道、左折すると加賀道。 直進すると直江津である。

追分交差点

追分道標 宇賀魂神社に移されたが、「右おゝ志う道 左かゝ道」と彫られている。

追分道標





【 雁木の街 高田 】

雁木の続く高田の街は、テレビや写真などで見てはいた。 しかし実際に街中に立ってみると、思っていた以上に雰囲気のある街並みであった。 総延長は16Kmに及ぶそうで、まさに高田のシンボルである。

しかし駅前の商店街には、新しい雁木風アーケードが続くが風情は無い。 雁木の下は私有地なので行政の手は入らないのだろうが、これからも古い雁木が残ることを願うばかりである。