2日目の朝、窓の外を見るとどんよりとした曇り空。 天気予報は「曇りのち雨」。 今回の最大の楽しみである、残雪の北アルプスを眺めながら走る予定だが、これはまずい。 雨が降り出す前に、何とか今日の目的地である野尻湖に走り込むため、早めにホテルを出発する。
(地図は別ウインドウで開きます)
日 付 | 区 間 | 手段 | 概算距離 | 地 図 | 備 考 |
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2014/5/14 | 追分宿~小諸宿 | ![]() |
約16.5Km | Map1-1 | 追分宿~小諸宿 |
小諸宿~上田宿 | ![]() |
約18.8Km | Map1-2 | 小諸宿~田中宿~海野宿~上田宿 | |
上田宿~矢代宿 | ![]() |
約21.9Km | Map1-3 | 上田宿~坂木宿~上・下戸倉宿~矢代宿 | |
2014/5/15 | 矢代宿~善光寺宿 | ![]() |
約18.5Km | Map2-1 | 矢代宿~丹波島宿~善光寺宿 |
善光寺宿~野尻宿 | ![]() |
約26.2Km | Map2-2 | 善光寺宿~新町宿~牟礼宿~古間宿~柏原宿~野尻宿 | |
2014/5/16 | 野尻宿~二本木宿 | ![]() |
約21.1Km | Map3-1 | 野尻宿~関川宿~田切宿~二本木宿 |
二本木宿~高田宿 | ![]() |
約26.2Km | Map3-2 | 二本木宿~新井宿~高田宿 | |
高田宿~直江津 | ![]() |
約7.8Km | 日本海を目指して直江津まで走る。 |
しなの鉄道・屋代駅 どんよりした曇り空の下を出発する。
屋代小学校旧本館 明治21年に建築された「擬洋風」木造校舎が残る。
藤屋旅館 「諸国旅人御定宿」の看板がかかり、旅籠の雰囲気を醸し出している。 ここで雨がパラパラと降り始めすぐに止んだが、この先に一抹の不安を抱く。
矢代宿 脇本陣跡 竹垣に古さが出てくると、良い雰囲気になるだろう。
北国街道松代道の分岐 北国街道東脇往還であるが道標も何もない。 本陣跡は左に少し進んだ所にある。
千曲川の土手を行く 屋代宿から千曲川にあった屋代の渡しまでの街道は、長野自動車道の更埴ICや新幹線のため姿を消した。
篠ノ井追分碑 中山道の洗馬宿への善光寺西街道が分岐する。
香福寺の筆塚 筆塚は各所で見られた。さすがに教育の長野県である。
篠ノ井の街並み 昔の賑わいが偲ばれる商店街。
脇本陣跡 柳島家 脇本陣だけでなく本陣跡も残り、両方とも柳島家であった。
宿場に入ってくる邪気を払うため、街道入口や脇道からの突き当りの家の屋根に鐘馗さまの飾り瓦が置かれている。
犀川に出る 土手から残雪の北アルプスが見えた。稜線の形から白馬岳か? 青空でないのが残念である。
丹波島橋を渡って長野市街に入る。 正面から流れ込む川は奥裾花川のようだ。
姫塚に寄り道 川中島の戦いによる上杉の軍の戦死者を弔うために作られた塚らしいが、源平の戦いで平敦盛を討ち取った熊谷直実の次女が病でこの地で没し、地元の人が憐れんで塚を築いたとの話も伝わるようだ。
こうじや 長野駅を越え善光寺側に出ると、屋根に小さな祠を乗せる店があった。 味噌と醤油の店である。
かるかや山西行寺 石童丸の話で有名らしいが良く知らない。 「父を訪ねて三千里」的な話のようだ。
善光寺宿本陣跡藤屋旅館 現在も現役で、「ふぢや平五郎」の看板が架かる。
善光寺仁王門 ここに来たらすっかり青空が・・・ これからに期待!。
善光寺地震柱 地震でずれたとの話だが、実際は乾燥による木のねじれのようだ。
藤木庵の蕎麦 180年余りの歴史を持つ蕎麦屋に入る。 美味かった。
善光寺をお参りして戻ろうとブラブラ歩いていると、突然周りの人達が一列に並んで跪き始めた。 何事かと思ったが、訳も判らず自分も列に並んで跪いた。 やがてお坊さんが並ぶ人たちの頭をポンポンたたきながらやって来た。 隣の人達が合掌して頭を垂れるので、同じようにしているとお坊さんに頭を軽くポンと叩かれた。
「御数珠頂戴」と呼ばれる、功徳を分け与えてくれる所作だという。 普通は朝に行われるそうで、たまたまこの日は昼にも行われたようだ。 有難いこっちゃ! これで過去の罪は洗い流されたようだ(笑)。